故障さえなければ…歴代“ガラスのエース”5人。けがに泣かされた一流投手たち
2024/03/09
産経新聞社
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プロ野球の世界には、いつの時代にも離脱さえしなければ球界を代表する選手であろうという「ガラスの天才」がいる。特に投手においては、肩や肘の故障により、誰もが認めるポテンシャルを持ちながら、本来の投球ができない悲運な投手が数多く存在する。今回はガラスのエースを紹介する。(歴代投手編)
斉藤和巳
ダイエー、ソフトバンクの絶対的エースとして君臨し、2003年には日本一の原動力となった斉藤和巳。南京都(現・京都廣学館)高からドラフト1位で指名された斉藤は、プロ2年目に一軍デビュー。しかし同年は、1試合登板、防御率27.00と結果を残すことはできなかった。
伸び悩むシーズンが続いていた斉藤だったが、2000年に5勝をマーク。翌年は右肩痛に苦しんだが、2002年は10試合登板ながら4勝1敗、防御率2.94と飛躍のきっかけを作った。そして2003年、エースとして覚醒した斉藤は、20勝3敗、勝率.870、防御率2.83という脅威成績を残し、日本一に大きく貢献。自身は最優秀防御率、最多勝、最高勝率、さらには沢村賞などを受賞した。
2004年は不振に陥ったが、2005年は本来の実力を発揮。さらに2006年は26試合(201回)を投げ、18勝5敗(うち5完封)、勝率.783、205奪三振、防御率1.75と傑出の数字を並べ、投手5冠と2度目の沢村賞に輝いた。しかし、2007年は登板数を減らし、翌年は3度目となる右肩手術を決断した。
その後、長い期間を要してリハビリに励んだ。2011年には三軍リハビリ担当コーチに就任。以降も選手としての復帰を目指していたが、念願は叶わなかった。現役最後の一軍登板は、2007年クライマックスシリーズ(CS)第1ステージ初戦の先発マウンド。まさに、記憶に残るエースだった。