故障さえなければ…歴代“ガラスのエース”5人。けがに泣かされた一流投手たち
2024/03/09
産経新聞社
今中慎二
山本昌らとともに、1990年代の中日ドラゴンズを支えたのが今中慎二だ。力強いストレートとスローカーブを武器とした緩急自在のピッチングで、数多くの強打者を翻弄した。
大阪産業大高大東校舎(現・大阪桐蔭高)では、甲子園の出場経験こそないものの、プロから注目を集める存在だった今中。ドラフト1位入団を果たすと、プロ2年目の1990年に2桁10勝を挙げる。その後も先発ローテーションの一角を担ったものの、1992年の試合中に打球が左手を直撃して骨折。約2か月間のリハビリを要した。
ただ、このリハビリ期間中にスローカーブの習得に成功。すると、1993年はキャリアハイの17勝、247奪三振、防御率2.20と圧巻の成績で最多勝利や最多奪三振などのタイトルに加えて、沢村賞も受賞した。同年はリーグ最多の249イニング、14完投という数字も残し、ドラゴンズに欠かせないエースとして君臨する。
しかし、1996年の14勝を最後に成績は低迷した。左肩の状態が思わしくない中での登板は、患部にさらなる負担をかけてしまい、30歳で現役引退。引退会見で発した「後悔はありません。ただ、悔いはあります」という言葉は、今中の本音が垣間見える言葉と言えるだろう。
【了】