故障さえなければ…歴代“ガラスの天才”5人。けがと戦い抜いた一流打者たち
2024/03/09
産経新聞社
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プロ野球の世界には、いつの時代も離脱さえなければ球界を代表する選手であろうという「ガラスの天才」がいる。高い能力を有しレギュラーとしての期待が大きい反面、その身体能力の高さゆえ、身体への負担が大きく、けがにつながってしまう悲運の選手たちだ。ここでは、誰もが認める高い能力を持ったガラスの打者を紹介する。(歴代野手編)
前田智徳
「孤高の天才」と呼ばれ、通算2119安打を放った前田智徳。広島の中軸として24年間、苦しい時代もチームを支え続けた。
熊本工から広島に入団した前田は、高卒1年目の1990年から56試合に出場。翌年は開幕戦に1番打者として出場すると、先頭打者アーチを放つなど強烈な印象を残した。同年は規定打席にも到達し、1992年は打率.308、19本塁打、18盗塁をマークした。
1993年、94年は「3割20本」をクリアするなど瞬く間に主力となった前田だが、1995年に右足アキレス腱断裂という大怪我を負い、わずか25試合の出場に終わった。それでも懸命のリハビリを経て復活を果たし、1996年から4年連続打率3割、特に98年は熾烈な首位打者争いを繰り広げ、リーグ2位の打率.335を記録した。
しかし、2000年に今度は左足のアキレス腱を手術した。翌2001年は27試合の出場に留まり、心配したカープファンも多かっただろう。それでもまたグラウンドに戻り、2004年からは再び持ち前の打棒を発揮。05年にはキャリアハイの32本塁打を放った。現役最終年は、4月に受けた死球の影響で12試合の出場に終わるなど最後まで怪我に悩まされたが、カープのレジェンドとして今後も語り継がれる選手である。