故障さえなければ…歴代“ガラスの天才”5人。けがと戦い抜いた一流打者たち
2024/03/09
産経新聞社
多村仁(仁志)
走攻守三拍子を備えたスラッガー・多村仁志。怪我との闘いがなければ、どれほどの本塁打を打っていたのか想像したくなる選手だ。
横浜高から地元球団の横浜に入団。高卒3年目の1997年に一軍デビューを果たす。その後、しばらくはレギュラー定着に至らなかったが、2004年に打率.305・40本塁打・100打点という驚異的な成績を残し、ブレイクを果たした。
2005年にも「3割30本」をクリアし、このまま軌道に乗り続けると誰もが思った中、2006年はわずか39試合の出場に留まる。同年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)ではクリーンアップの一角として3本塁打を記録し、世界一に大きく貢献したものの、レギュラーシーズンでは、4月の試合で走塁時に肋骨を4本折るという大怪我に見舞われてしまった。
2006年オフにトレードでソフトバンクへ移籍した多村は、2007年シーズンに4度の肉離れを発症しながら132試合に出場。2010年は打率.324、27本塁打、89打点とチーム三冠の成績を残したが、以降は怪我の影響も大きく、規定打席に到達することはなかった。22年間で放った本塁打数は195。改めて振り返ると、「怪我がなければ」と思わずにはいられない。