村神様の故郷「熊本」が生んだ天才打者5人。村上宗隆だけじゃない…強打者を輩出する土壌
2022/09/16
産経新聞社
川上哲治
出身地:熊本県人吉市
投打:左投左打
身長/体重:174cm/75kg
生年月日:1920年3月23日
経歴:熊本工
「打撃の神様」と呼ばれ、トレードマークの赤バットで通算2351安打を記録した川上哲治も熊本県出身だ。
川上は名門の熊本工出身で、当時は投手として活躍。1937年夏の甲子園では準優勝を果たした。プロでは、高校時代にバッテリーを組んだ吉原正喜とともに東京巨人軍(現:読売ジャイアンツ)に入団する。
投手としてキャリアをスタートさせたものの、打撃センスを買われて野手も兼任。首脳陣の期待に応え、入団2年目の1939年に打率.338で初の首位打者を獲得した。1942年シーズン途中には、太平洋戦争の影響でシーズンが中断。その後は兵役でチームを離れたが、1946年から再びプロ野球選手として巨人に復帰した。
復帰後は打者に専念し、毎年のように高打率を残した。1951年には打率.377をマークして3度目の首位打者を獲得。1956年にNPB史上初の通算2000本安打を達成した。通算打率.313という数字はもちろん、実働18年で1シーズン40三振以上を記録したことがないなど、コンタクト能力が突出していたことも川上の凄さを物語っている。