ドラフトの「注目の的」…6球団以上から重複指名を受けた選手たち。今年のドラ1は何球団競合に?
2023/10/16
産経新聞社
野茂英雄(8球団競合)
出身:大阪府
投打:右投右打
身長/体重:185cm/89kg
生年月日:1968年8月31日
ドラフト:1989年ドラフト1位
史上最多の8球団からドラフト1位指名を受けたのが、日本とメジャーの両方で活躍した野茂英雄だ。
成城工(現:大阪府立成城高校)時代には、夏の大阪府大会で完全試合を達成した経験がある野茂。3年生の夏はチームをベスト16に導くなど、高校からのプロ入りも現実味を帯びていたが、結果的には社会人(新日鉄堺)に進む。
社会人でも活躍を見せた野茂は、1988年のソウル五輪の日本代表にも選出。後にヤクルトスワローズで活躍する古田敦也とバッテリーを組み、銀メダル獲得に大きく貢献した。
そして迎えた1989年のドラフト会議では、8球団(ロッテ・大洋・日本ハム・阪神・ダイエー・ヤクルト・オリックス・近鉄)からドラフト1位指名を受けた。ちなみに、西武は潮崎哲也、広島は佐々岡真司を1位で指名、さらに大洋は外れ1位で佐々木主浩を指名するなど、野茂以外にも有力選手が数多くいたことがわかる。抽選の末、交渉権を獲得したのは近鉄だった。
ドラフト1位で近鉄に入団した野茂は、1年目から即戦力として大活躍。1990年は18勝8敗・防御率2.91・287奪三振という成績を残し、新人王・最多勝・最多奪三振・沢村賞などのタイトルを獲得した。その後のシーズンも17勝・18勝・17勝・8勝を挙げた野茂は、1995年からメジャーリーグに挑戦する。
マイナー契約から這い上がり、ロサンゼルス・ドジャースでは1年目から13勝で新人王・最多奪三振のタイトルを獲得。代名詞とも言える「トルネード投法」はメジャーを席巻した。その後はニューヨーク・メッツやボストン・レッドソックスなどを渡り歩き、メジャー時代には2度のノーヒット・ノーランを達成。史上最多8球団から指名を受けた野茂は、日米通算で201勝を記録した伝説の投手となり、2008年に現役を引退した。