ドラフトの「注目の的」…6球団以上から重複指名を受けた選手たち。今年のドラ1は何球団競合に?
2023/10/16
産経新聞社
小池秀郎(8球団競合)
出身:岐阜県
投打:左投左打
身長/体重:175cm/73kg
生年月日:1969年3月18日
ドラフト:1992年ドラフト1位
近鉄に指名された野茂英雄と同じく、もう1人8球団から指名を受けた選手が小池秀郎である。
長野県の信州工時代には目立った活躍がなく、大学は亜細亜大学に進学した。だが、大学2年から徐々に頭角を現し始めると、大学4年は才能が開花。1990年の春季リーグでは、当時の新記録であるシーズン奪三振数111(元ソフトバンクの大場翔太が後に115で記録更新)をマーク。大学での通算成績は28勝14敗・防御率1.45という成績で、瞬く間にドラフト候補となった。
野茂が8球団から指名を受けた1989年のドラフト会議に続いて、1990年のドラフト会議でも8球団(阪神・ヤクルト・ロッテ・中日・日本ハム・近鉄・広島・西武)が小池を指名した。大きな注目を集めた中、当たりクジを引いたのはロッテ。しかし、指名を受けた小池に笑顔は全くなかった。
小池はロッテのスカウトから事前訪問を受けた際、指名を受けても入団拒否することを伝えていたという。にもかかわらず指名を受けたことに、小池は悲しみで涙を流し、当時亜細亜大学の総監督だった矢野祐弘は激怒した。結果、宣言通り入団を拒否し、松下電器に入社する。
入団拒否から2年後の1992年、近鉄からドラフト1位指名を受けた小池は、ついにプロ野球界への仲間入りを果たした。しかし、社会人時代に故障が多かったことも影響し、近鉄でも思うような成績を残せないシーズンが続く。1993〜1996年の4年間では合計で15勝に終わった。
1997年こそ意地を見せ、15勝6敗・防御率2.96と活躍を見せた小池は最多勝を獲得した。「ついに覚醒か」と思われた小池だったが、1998年は7勝を挙げるも防御率が6.81と大幅に悪化。その後は中日ドラゴンズや楽天イーグルスなどを渡り歩き、プロ通算51勝で2005年に引退した。