道産子に愛される人気球団へ。さらば、夢と幸せの舞台となった札幌ドーム【えのきどいちろうのファイターズチャンネル#183】
04年から本拠地球場として使用してきた札幌ドームも今季限りとなる。とりわけ東京から北海道への移転を経験した在京ファンにとって、この球場には幸福な記憶しかない。
2022/10/01
今回の移転はアイデンティティ・クライシスにならない
03年、東京ドーム最終戦はそういう空気のなかで行われたんだ。超満員。みんな自分史のなかのファイターズと別れに来た。フロント職員(さっきの人と別)が「あーあ、いつもこれくらい来てたら移転なんかしなくてすんだのに~」と軽口を叩いてやがって、カチンと来て胸ぐらつかみそうになった(大丈夫、つかみませんよ)。今日駆けつけた人の真心がわからないのか。またねぇ、酷い試合だったんだ。リードして抑えの芝草宇宙を出したら、何と9回満塁押し出しで同点。延長になって西武に逆転負けだよ。お前ら、これで出ていくつもりなのか。もう、この悔しさを晴らすホームはないのか。
あんな思いつめた顔をしたファンは札幌ドームには1人もいない。まぁ、津軽海峡を越える移転と隣接自治体の移転じゃ気の持ちようが違う。「人生のつっかえ棒」は外れない。アイデンティティ・クライシスは味わわずに済む。ていうか、(僕もそうだけど)皆、まったく実感がわいてなかった。来年もいつもの通り、東豊線福住駅で降りて徒歩で札幌ドームへ向かう気がする。今日の続きの明日、今年の続きの来年を疑っていない。少なくとも僕などは中田、西川、大田、秋吉がチームを去った去年のほうがよっぽどアイデンティティ・クライシスだった。「応援してたオレ」「応援してたみんな」はどこへ行くんだ、完全否定なのか、とファイターズが東京を出ていくときとそっくり同じ憂鬱のなかに沈み込んだ。
試合が3対11のワンサイド負けだったのもあって、翌日の新聞は「新庄続投」一色だった。06年の現役引退のとき、(最後、「1」から変更された)「63」のユニフォームをクラプトンの「ティアーズ・フォー・ヘブン」をバックに静かに置くという演出があったが、今回は「BIGBOSS」ユニを同じ趣向で札幌ドームのマウンドに置いた。で、しばらく後に「いとしのレイラ」で出てきて、来年からは「SHINJO」で行くという趣向だった。たぶん札幌ドームにいた9割9分のファンは「でしょうねー」だったと思う。そうでなきゃ何のために今年、トライアウトに1年費やしたのか。ほのぼのというかほっこりというか、新庄劇場にまたつき合ったという感想だ。僕はずっとニコニコ笑っていた。
だから主語は「SHINJO」であって「札幌ドーム」じゃなかったと思う。帰り際、出口のところで札幌ドームのスタッフが横断幕を掲げてお見送りをしてくれてて、もしかするといちばん感傷的になってるのは札幌ドームの人かも知れないなぁと思った。そりゃ球場使用料をふっかける等、残念ないきさつがあった(らしい)のは報道で知っているが、それは上の人の問題で、現場スタッフに罪はない。これまで19年間、ファイターズの歴史を支えてくれた球場だ。スタッフだ。いくら感謝しても感謝のしすぎということはない。
ファイターズは北海道で人気球団になった
ホームを失った在京ファンの立場から言おう。この19年間は夢だった。いい年も悪い年もあったけど、ファイターズはね、人気球団になったんだ。オレね、閑古鳥の鳴く東京ドームでファイターズを応援してて、悔しかったんだよ。たまに大入袋が出たと思ったらイチローフィーバーか松坂フィーバーだ。オレの大好きな岩本や金村や、金子誠や小笠原や、田中幸雄をね、満員の球場で野球やらせてやりたかったんだ。そのためにコラムを書いてラジオ番組やって「ビッグバン打線」のネーミングを仕掛けた。オレだっていっしょうけんめい頑張ったんだ。
でね、北海道行ってみんな幸せになったんだ。札幌ドームはオレの大好きな選手に夢をくれた。何度も優勝の舞台になってくれただけじゃない。みんな引退しても食えるだけの道をつくってくれた。僕ら在京ファンが失ったものより、はるかに大きなものを選手にも、北海道のファンにももたらしてくれた。だからさ、札幌ドームには幸福な記憶しかないんだ。
札幌ドーム最終戦は人為的な仕掛けははぼ外していた。3対11じゃドラマも何もない。そういうんじゃなくてさ、あの日も内野席にいられて僕は幸福だったよ。ありがとう札幌ドーム。