【ドラ1の知られざる苦悩】元巨人・辻内崇伸(1)大阪桐蔭入学時は「平民以下の存在だった」
2022/10/13
産経新聞社
なぜか野球だけは左
87年12月5日、辻内は奈良県磯城郡川西町で生まれている。
川西町は、奈良県の大阪府寄りに位置し、天理市、大和郡山市などに挟まれた、のどかな田舎町である。辻内は出生地について訊ねられると「法隆寺の近くです」と答えている。
「すごいやんちゃな、活発な子どもだったと思います。スポーツは何をやっても一番という感じでした。とにかく走り回るのが好きでした。田んぼばっかりの街なんで、田んぼでサッカーとかやってました」
父親は中学校まで野球部に所属しており、辻内に野球を教え込んだ。
「自分、鉛筆(を持つ方)も右だし、テニスも右、サッカーも右。なぜか野球だけ左なんです。幼稚園ぐらいから親父から左で投げさせられたんだと思います」
本格的に野球を始めたのは小学1年生のときだった。まずは右翼手から始め、その後一塁手になった。ホームまでボールが投げられるようになると投手を兼任するようになった。
「でもコントロールが全然駄目で、ほとんどファーストでしたね。ピッチャーではファーボールばかり」