【ドラ1の知られざる苦悩】元巨人・辻内崇伸(5)ついに戦力外も…「めっちゃ、ほっとしました」
2022/10/13
産経新聞社
肘が悲鳴をあげた日
2007年2月、高卒2年目の辻内崇伸は読売ジャイアンツの1軍キャンプに参加していた。
キャンプ開始から5日後のことだ。
前シーズン、堀内恒夫から原辰徳に監督が交代していた。4月こそ好調だったが、その後は失速。球団史上初となる2年連続Bクラスという成績だった。原はチームの雰囲気を変えなければならないと、キャンプを精力的に動きまわっていた。
ジャイアンツのキャンプは、2月の宮崎の風物詩でもある。キャンプ地への道は、見物客の車でぎっしりと埋め尽くされる。辻内たち、投手が投げるブルペンも何重もの人垣に囲まれていた。
原はブルペンに顔を出すと、「そんな球でいいのかよー」と観客に聞こえるように大声を出した。キャンプに足を運んでくれているファンへ原なりのサービスだった。
その日、観客から多くの拍手が出れば投球練習を終了することになっていた。
以下は辻内の回想である。
「10球ぐらい、肘が痛いまま投げていました。ああーって叫びたいぐらいの痛み。それでも投げなあかんと思って投げたら、ボールが変なところに行ったんです。投げた後、声が出せないぐらい肘が痛かった」
その様子を見た原は「お前、もういいよ」と辻内に引き揚げるように命じた。ブルペンから出て、軽くランニングをしている最中、肘をさすってみた。肘の辺りが麻痺しているようで、動かすと痛い。チームドクターに相談すると、患部を冷やし、明朝に様子を見ることになった。
すると――。