【ドラ1の知られざる苦悩】巨人・元木大介(3)一軍に生き残るための「スタイル変換」
2022/10/14
産経新聞社
プロで生き残るために
自分の感覚が衰えていると感じたのは、自主トレーニングのときだったという。
「キャッチボールからして何、このスピード、みたいな。球が伸びてくるから。急に野球をやり始めた感じ。(プロのボールは)ビール飲みながらやっているハワイのおっさんのボールとは違う。俺、騒がれて入ったけど、やべーなって」
入団から1年間、元木は二軍で過ごしている。
「本当にクソアマチュアみたいなところから入って来たから、野球に馴れるのに必死だった。最初の1年間はホームランを打ちたいって頑張っていたよ。バッターとしてはホームラン打ちたいからね。でも、二軍でも4本ぐらいしか打てなかった。(高校時代の金属バットから)木のバットに替わったというのもある。プロの投手はスピードもあるし、変化球も切れる。そう簡単には打てないですよ。2年目から、このままやっていても俺は一軍に上がれない、プロではやっていけないなと」
元木がひたすら考えていたのは、どうやれば一軍のベンチに入ることができるか、だった。
「好き勝手書いた人たちを見返してやろうと思っていた。偉そうなことを言って入って、あいつ駄目じゃんって言われたくなかった。それで取材拒否してやろうってね。あとは両親に惨めな思いをさせたくなかった。一軍のベンチにいたら、ちらっとでもテレビに映るし、(親に)あ、いたって分かる。いきなりレギュラーなんてそんな甘いものじゃないし、俺の力では無理だと思っていた。控え選手の一番になりたいと思ってやっていた。何かあったときに大介行ってこいって言われるような選手」
元木は本塁打を早々と諦め、右打ちに徹した。また、スコアラーの元に通って配球を学んだ。プロに食らいついていこうと必死だった。
そして狙い通り、元木は3年目から一軍に定着することが出来た。ただし、選手層の厚いジャイアンツでは確固たるレギュラーの座を掴むことができなかった。