【ドラ1の知られざる苦悩】元ヤクルト荒木大輔(2)大輔フィーバーも…「早大に進学するつもりだった」
2022/10/14
産経新聞社
プロ野球ドラフト会議
10月20日に控える今年のプロ野球ドラフト会議。巨人やソフトバンクらが、ドラフト1位指名選手を公言するなど、早くも有力選手の獲得競争は始まっている。抽選を伴う1巡目指名選手は、大きな脚光を浴びる一方で、“ドラ1”の肩書きを背負って、プロ生活を歩むこととなる。華やかな面だけではない、当人にしかわからない苦悩や厳しさを味わうこともあるだろう。田崎健太氏著『ドライチ』より、その舞台裏の一部を紹介する。(case. 荒木大輔)
【プロフィール】
荒木大輔(あらきだいすけ)
1964年5月6日、東京都出身。76年、調布リトルの投手としてリトルリーグ世界選手権に出場し優勝。その後早稲田実業へ進学、高校1年ながら、東東京大会では主力投手の故障が相次いだこともあり、先発1番手を任される。そのまま東東京大会を制して、夏の甲子園に出場。準決勝まで44回1/3無失点を飾り、チームを決勝へ導いた。横浜高に敗れて準優勝に終わったが、「大輔フィーバー」を巻き起こした。甲子園には春夏計5回に出場。
82年のドラフト会議でヤクルトスワローズから1位指名を受けて入団。86年、87年には2年連続開幕投手を任されるなど順調にキャリアを積んだが、88年シーズン途中に肘を故障。アメリカで度々手術を受ける。92年に復帰、93年には8勝をマークし、2年連続のリーグ優勝と日本一に貢献した。95年オフに横浜ベイスターズに移籍し、96年現役引退。引退後は西武ライオンズや東京ヤクルトスワローズ、北海道日本ハムファイターズでコーチを務めた。現在は野球解説者・野球評論家として活躍している。