【ドラ1の知られざる苦悩】元ロッテ・前田幸長(4)笑顔なき記者会見「なんでロッテなんだ」
2022/10/15
産経新聞社
まさかのドラフト会議
1988年のドラフト会議で最も注目されていたのは、慶応大学の左腕投手、志村亮の動向だった。大学4年間で31勝、防御率1.82という成績を残しており、即戦力という評価。しかし、三井不動産への就職を決めておりプロ入りを拒否していた。
複数球団の指名が予想されていたのは、津久見の川崎憲次郎だった。その他、大阪桐蔭の今中慎二、大垣商業の篠田淳、社会人ではNTT四国の渡辺智男、プリンスホテルの石井丈裕が上位指名確実と見られていた。その中には、夏の準優勝投手である、前田幸長の名前も入っていた。
スポーツ番組に出演した報知新聞の記者、中島伯男氏は、先発陣の左腕が工藤公康のみと手薄な西武が前田を1位指名すると予想している。
ドラフト前日、地元、西日本スポーツはこう書いている。
〈「全12球団のスカウトから〝高い評価はしている〟と言われたけど、ついに1位指名するとは約束してくれなかった。つまりぼくは1位指名の人よりも力不足と判断されたわけで、それならば大学に進学した方がいいと考えた」
前田がこの結論を出したのは前日の二十二日深夜。父親の助司さん(五〇)との親子会議で決心したという。(中略)
「もし明日どこかの球団が1位指名しても、もう進学を決めた気持ちは変わらない」とも言った。
大学からは、一度セレクション試験をボイコットした同志社から再度の入学勧誘があったほか、法政、明治、中央、東海大など一二大学から誘われているという。進学先は「これから決める」が、「東京六大学は連投させられて故障してしまう可能性が高いので、東都か関西で…」と前田〉