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【ドラ1の知られざる苦悩】元横浜・古木克明(3)下位常連チームの悲劇…一貫しなかった育成方針

2022/10/16

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産経新聞社



プロ野球生活が短くなってしまった理由

 2007年シーズン終了後、古木はトレードを志願し、オリックス・バファローズに移籍。しかし、ここでも出場機会を掴むことができなかった。バファローズには、タフィ・ローズ、アレックス・カブレラ、グレッグ・ラロッカなどの強打者が揃っていたのだ。2009年シーズン終了後、古木は戦力外通告を受けた。
 
 その後、古木は格闘家として2試合戦ったあと、再び野球に戻りアメリカ独立リーグのパシフィック・アソシエーションの『ハワイ・スターズ』でプレー、2013年シーズン終了後に二度目の引退をした。2014年4月からは事業構想大学院大学の大学院に進学、アスリートのセカンドキャリアを研究し、2016年3月に卒業している。(※)
 

格闘家時代の古木。【産経新聞社提供】
 
 古木は恵まれた体で、足も速い。ボールを遠くに飛ばす才能も持っていた。本来ならばドラフト1位に相応しく、日本を代表する長距離打者になってもおかしくなかった。プロ野球選手として大成しなかった理由を今、どう分析しているのか、と問うてみた。
 
「ぼく、ちょっとしたことがすごく気になってしまう性格なんですよ。それで時に大切なことを見失ってしまう。バッティングもそうでした。生真面目すぎたのかもしれない。もっと細かいことはどうでもいいや、人から怒られてぶん殴られてもいいや、という感じで割り切れる性格だったら、ぼくは成功していたと思いますよ」
 

 
 少し考えた後、こう付け加えた。
 
「殻を破れなかったのは、周りを見えなかった。自分が練習すれば良くなると思い込んでいた。相手投手からみたら、どんなバッティングが嫌なんだろう、どんな風に配球を組み立てているんだろうって考えたことがなかった。そこに早く気がつけば、長く野球を出来ていた」
 
 そういうことを教えてくれる人と出会わなかった巡り合わせもあるかもしれませんねと、古木は静かな声で言った。
 
 
※編集註:現在は、『ベースボール・サーファー』の活動や、中学硬式野球クラブチーム『横浜みなとみらいポニー』の監督を務める。(古木氏のSNSより)

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【収録選手】
CASE1 辻内崇伸(05年高校生ドラフト1巡目 読売ジャイアンツ)
CASE2 多田野数人(07年大学生・社会人ドラフト1巡目 北海道日本ハムファイターズ)
CASE3 的場寛一(99年ドラフト1位 阪神タイガース)
CASE4 古木克明 (98年ドラフト1位 横浜ベイスターズ)
CASE5 大越基(92年ドラフト1位 福岡ダイエーホークス)
CASE6 元木大介(90年ドラフト1位 読売ジャイアンツ)
CASE7 前田幸長(88年ドラフト1位 ロッテオリオンズ)
CASE8 荒木大輔 (82年ドラフト1位 ヤクルトスワローズ)

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