【ドラ1の知られざる苦悩】元阪神・的場寛一(3)戦力外通告のきっかけとなったケガの真相
2022/10/16
産経新聞社
指揮官交替でチャンスも…
2002年、監督が野村から星野仙一に替わった。翌2003年、伊良部秀輝、金本知憲などが加わった。このシーズンから的場は遊撃手から外野手へとポジションを変更している。
金本の加入が阪神の野手に強い影響を与えたと的場は考えている。
「金本さんとは(恐れ多くて)直接話はできませんでしたけど、若い選手は先輩の背中を見る。無事之名馬はホンマですよ。下手くそでも丈夫やったら練習できるから、上手くなる。怪我というのは解釈の問題です。骨が折れた、ヒビが入った。医者に診せると安静にしろと言われ、試合に出られない。すると自分のポジションを獲られてしまう。でもちょっと痛いけど、(プレー)できることもある。折れていようが、少々曲がっていようが出来たらそれでええんです。痛みに鈍感な人なら多少ヒビが入ってるぐらいは気がつかないでしょ。ぼくがそう考えるようになったのはだいぶ後のことでした」
2003年シーズン、阪神は18年ぶりのセリーグ優勝を成し遂げた。翌2004年、監督が岡田彰布となった。
指揮官交替は若手選手にとって大きなチャンスでもある。2月21日の紅白戦では3安打を打ち、レギュラー候補の一人とて数えられるようになった。
しかし――。
2004年2月29日のオープン戦で的場は右肩捻挫、一軍から離脱。
岡田は報道陣から的場の怪我に、こう答えている。
〈「結構かかりそうや。抜けてすぐ(肩は)入ったらしい。悔しかったんやろな。ロッカーに帰って(脱いだ)ユニフォームを右手でたたきつけとったと島野さん(管理部長)が言うとった。普通は投げられんぞ。だから大丈夫やろうと思ったんやけど…。(中略)」
「ケガするヤツは調子がいいときにする。チャンスにケガをするな」〉(2004年3月14日付「デイリースポーツ」)
怪我が癒えたものの、この2004年シーズンの試合出場は2試合に留まっている。