【ドラ1の知られざる苦悩】元阪神・的場寛一(3)戦力外通告のきっかけとなったケガの真相
2022/10/16
産経新聞社
2005年、怪我の理由
そして、翌2005年3月9日、東北楽天ゴールデンイーグルスとのオープン戦――。的場は九番レフトとして先発出場している。
「あの年はキャンプから好調で、岡田監督も〝(外野は)寛一で行こう〟と言ってくれていたんです。あの日、チャンスでタコったんです。ぼくみたいな選手は毎日オープン戦でヒットとか打って活躍せな、一軍に残れないと思っていたんです。2005年は優勝を狙えるチームでしたから」
この日、的場は3打数0安打、一つの三振という成績だった。
「ぼく、こう見えて短気なんです。自分に対してむかついて、グラブをバーンって投げたら肩が外れた。肩を脱臼してしまって、それでアウト。ぼくの野球人生は終わりました」
翌日の記事ではグローブを投げて肩を脱臼したことは伏せられていた。
〈阪神・的場寛一外野手(27)の開幕一軍入りが絶望的となった。9日の楽天戦の9回、レフト線の打球を処理し、二塁へ送球した際に右肩を痛めた。試合後、宝塚市内の病院で検査の結果「右肩関節唇損傷」の診断を受けた。
(中略)平田ヘッドコーチも「開幕一軍に入る勢いだっただけに残念」と無念の表情。キャンプから好調で、貴重な右の外野手として開幕一軍をほぼ手中に収めていたが、昨年に続くオープン戦途中でのリタイアとなった〉(2005年3月11日付「デイリースポーツ」)