【ドラ1の知られざる苦悩】日本ハム多田野数人(1)人生が激変した大学4年の秋
2022/10/17
産経新聞社
まず相撲で才能開花
多田野は1980年4月、東京の墨田区押上で生まれた。野球を始めたのは小学1年生のときだった。二つ上の兄が入っていた少年野球チームに入ったのだ。ポジションは投手と遊撃手だった。
「チームが弱かったので早くから試合に出ていました。あんまり記憶はないんですけれど、ストライクは入ったので投げさせてもらっていたんじゃないですか」
目立つ選手ではなく、野球が好きで好きで仕方がないという、どこにでもいる野球少年でしたよ、と静かな声で付け加えた。
彼の才能を最初に認められたのは野球ではなかった。
「墨田区って相撲部屋があるので、相撲が盛んなんです。それで4年生のときに野球をやりながら相撲の大会に出たら、たまたま墨田区の大会で勝ってしまった。それで都大会に出るというので、大島部屋で稽古をつけてもらうことになった。相撲好きでもなんでもなかったんですけれど。5年生、6年生も(区の大会で)勝っちゃって夏前は、大島部屋に通っていました」
この頃、大島部屋にモンゴル人力士が入門している。その中の一人が旭天鵬がいたという。彼らと共にちゃんこ鍋を食べるのは楽しかったという。