【ドラ1の知られざる苦悩】日本ハム多田野数人(1)人生が激変した大学4年の秋
2022/10/17
産経新聞社
六大学の附属高校を受験も…
中学校に進学する際、相撲と野球の選択を強いられた。彼は迷うことなく野球を選んでいる。
しかし、中学校の野球部は、恵まれた環境とは言えなかった。多田野と同じ学年の野球部員は誰もいなかったのだ。
「中学3年生になるとピッチャーで自動的にキャプテンでした。仲間がいないことは寂しかったというか、こういうもんかなと思っていました」
神宮球場で六大学野球を見たのはそんな時期だった。高校進学が近づき、多田野は六大学の附属高校を受験した。
しかし、全て不合格――。千葉県の八千代松陰高校に進むことになった。中学の先輩がいるという理由で入学試験を受けただけだった。
「第4、第5志望の学校でしたし、正直行きたくなかった。でもそこしか受かりませんでした。甲子園は考えていなかったです。夏は一度も出たことありませんでしたから。野球を続けるというだけでしたね」