【ドラ1の知られざる苦悩】日本ハム多田野数人(2)苦肉の策?超スローボールの誕生
2022/10/17
産経新聞社
ひっそりとした旅立ち
2003年2月、多田野数人は成田空港からアメリカ行きの飛行機に乗った。家族と何人かの友だちが見送りに来てくれただけの、ひっそりとした旅立ちだった。
行く先を失った多田野に救いの手を差し伸べたのは、アランニーロという代理人だった。
「アランニーロ直接ではなかったですけれど、日本の担当者から話を頂いたんです。(アメリカの)下のほうでチームを探すので、とりあえずやってみないかと」
まずはアリゾナでダイヤモンドバックスとコロラド・ロッキーズのキャンプに参加することになった。テストは、マイナーリーグ所属のバッターを相手に2、30球投げるだけという、至って簡単なものだった。
「バッティングピッチャーみたいなものです。着いてすぐにテストだったんです。東京は寒くてなかなか練習できていなかった。思うような球を投げることができなくて悔しかったですね」
両球団とも不合格だった。
すると代理人から、可能性は低いがクリーブランド・インディアンス(現ガーディアンズ)のキャンプに参加してみないかと言われた。そこで多田野はフロリダに向かった。