【ドラ1の知られざる苦悩】日本ハム多田野数人(2)苦肉の策?超スローボールの誕生
2022/10/17
産経新聞社
メジャー昇格も厳しさを痛感
プロ野球を経由しない日本人メジャーリーガーは、マック鈴木に続く2人目だった。
メジャーリーグには特徴のある打者が沢山いたのだと多田野は振り返る。
「例えば、(ブラディミール・)ゲレーロ。腕が長くて、アウトコースの完全なボール球を投げているのに引っ張れてしまう。当時、ぼくの球速は150キロほどでした。向こうはマウンドが固いので日本よりも球速が出るんです。その150キロのツーシームを簡単に打たれたんです。ポーンとリストを使っただけで、自分の最高のボールを引っ張られた。打たれた瞬間、笑うしかありませんでした」
その他、ニューヨーク・ヤンキースのアレックス・ロドリゲスも多田野の印象に残っている。
「追い込んでフォークを投げるんですけれど、片手でファールにするんです。ワンバンするぐらいのボールを簡単に三塁側にファール。子ども扱いされているような気になりましたね」
そのとき、多田野は投げる球がなくなり、超スローボールを投げることにした。さすがのA・ロッドもこの山なりの球には戸惑ったのか、三塁ゴロに打ち取ることができた。
「とにかく毎日、球場に行くのが楽しかった。わくわくしていましたね」
しかし、結果を残せなければ契約を切られるのが、アメリカである。2006年4月にインディアンスから契約解除。その後、オークランド・アスレチックスとマイナー契約を交わし、再びマイナーリーグで登板していた。そんなとき、北海道日本ハムから日本でプレーしないかと声を掛けられた。多田野も日本のプロ野球で一度やってみたいと思うようになっていた。
そして、2007年11月に行われたドラフト会議で北海道日本ハムファイターズから一巡目指名を受けた。
(3)につづく
この記事に興味をもったあなたにおすすめ
ドラフト1位という十字架を背負った者だけがわかる苦悩の数々…
楽天ブックスなどで発売中です↓
『ドライチ ドラフト1位の肖像』
【収録選手】
CASE1 辻内崇伸(05年高校生ドラフト1巡目 読売ジャイアンツ)
CASE2 多田野数人(07年大学生・社会人ドラフト1巡目 北海道日本ハムファイターズ)
CASE3 的場寛一(99年ドラフト1位 阪神タイガース)
CASE4 古木克明 (98年ドラフト1位 横浜ベイスターズ)
CASE5 大越基(92年ドラフト1位 福岡ダイエーホークス)
CASE6 元木大介(90年ドラフト1位 読売ジャイアンツ)
CASE7 前田幸長(88年ドラフト1位 ロッテオリオンズ)
CASE8 荒木大輔 (82年ドラフト1位 ヤクルトスワローズ)