【ドラ1の知られざる苦悩】元ダイエー大越基(3)甲子園で燃え尽き…早大を中退しアメリカへ
2022/10/17
産経新聞社
11球団から誘いを受けるも、プロへ行く意思なし
1989年、夏の甲子園で仙台育英高校は準優勝となり、エースの大越基のところにはプロ野球球団から獲得の打診が次々と入った。こうした打診は全て監督の竹田利秋が受けとめ、大越には伝えられなかった。後に大越は竹田から計11球団から誘いがあったと教えられた。
「11球団のうち野手として考えているのが半分。ピッチャーが半分でした。はっ、意味わからんと思いました。自分、そんなに打つほうでもないし」
大越は上背はそれほどないが、筋肉質で均整の取れた体つきで、卓越した脚力があった。後に大越はプロ野球のスカウトの眼力にしみじみと感じ入ることになる――。
とはいえ、この時点で大越はプロ野球選手になりたいという気持ちは全くなかった。
「竹田先生から、プロでやる気はあるのかと訊ねられたとき、全くありませんと即答です」
この年のドラフト会議には、前年ソウルオリンピック銀メダルのメンバーが対象となっていた。8球団が指名した野茂英雄の他、佐々木主浩、佐々岡真司などが1位指名を受けている。
「あの方々と比較したら自分は無理。大学に行きますと。すると竹田先生は(東京)六大学の話をしてくださった。大学野球は盛り上がらないけど、早慶戦は凄い。お前は早稲田に入れる条件を満たしているんだから行けばいいんじゃないかと言われました。それでまず東伏見の(早大)グラウンドまで練習を見に行きました」