【ドラ1の知られざる苦悩】元ダイエー大越基(3)甲子園で燃え尽き…早大を中退しアメリカへ
2022/10/17
産経新聞社
早稲田を中途退学した理由
それでも大学野球の中で大越の力はぬきんでていた。
「シートバッティングやオープン戦でバットを何本もへし折りました。(高校野球で使用する金属バットと違い)木のバットなんで折れちゃうんです。インコースに投げたらみんな打てないです。(上宮高校の)元木対策でインコースは相当磨いてましたから。練習しなくとも、投げたらそこそこ試合は作れるし勝ててしまう。やっていても面白くない」
そのうち大越は野球部を退部しようと考えるようになっていた。
「OBの方から〝早慶戦で投げてみろ。あれを経験したら続けたくなる。それまでは辞めるな〟と言われていました。丁度、春のリーグ戦の最後が早慶戦でした。そこで勝ったほうが優勝。どんぴしゃだったんです。優勝したらもう辞めてもいいよねって」
第1試合は4年生の市島徹が先発し勝利。第2試合は大越が登板したが敗れ、優勝は第3試合に持ち越されることになった。7回、先発の市島がつかまり、一死満塁の場面で大越がリリーフとしてマウンドに上がった。
「優勝懸かった試合でなんで市島から1年生に代えるんだって、みんな怒っているんです。市島さんは優しくて、泣きながら〝頼む、俺は無理だ〟と言われました。それには意気に感じました。まあ、ええわとにこにこしながら、ぱーんと投げたらサードゴロでホームゲッツー。マウンドの上でガッツポーズです」
この1球で試合の流れを早稲田が引き寄せることになった。早稲田はこの試合に勝ち、15季ぶりの優勝を成し遂げた。
「試合が終わった瞬間、ぼくはグローブを上に投げた。ぼくは野球道具は大事にするようにと教わってきました。グローブを投げたのはこれで辞めるという合図だったんです」
リーグ戦の覇者が出場する全日本大学野球選手権終了後、大越は練習に行かなくなった。