【ドラ1の知られざる苦悩】元ダイエー大越基(4)想定外の1位指名に「まずいことになったと」
2022/10/17
産経新聞社
高卒で野手として入っていたら…
プロ4年目の96年9月、大越は野手として一軍の試合に出場している。一軍の野手の数が足りなくなったからだ。投手よりも野手のほうが一軍昇格の可能性が高い。大越は翌シーズンからは投手に見切りをつけて、野手に転向することにした。
「びっくりしたのはピッチャーと違って野手は練習量が多いこと。二軍のバッティングコーチの山村(善則)さん、定岡(智秋)さんに徹底にたたき込まれました。夜遅くまで、もうマメが破れて、ぐじゃぐじゃになってまで練習しました。山村さんは帰りたいのに必死で投げてくださった。それに応えなきゃという思いでしたね」
努力の甲斐あって、99年から一軍に定着した。
――高校卒業して野手として入っていたら、完璧なショートとして育てられた。守備だけで〝億〟を取れる選手になったよ。
定岡がこう嘆息したことを大越は今もよく覚えている。
もちろん、投手としてドラフト1位で入団した大越にはその選択はそもそも許されなかった。甲子園準優勝投手という誇りもあった。