納得いかず“銭闘”へ…プロ野球、年俸調停を申し立てた選手6人。金額面で契約が難航したケースに
2024/02/24
産経新聞社
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球春到来を迎えたプロ野球。オフシーズンの間には契約更改が行われ、今季の選手契約が正式決定した。契約更改はスムーズに進むことも多い一方、待遇や評価に納得できず、交渉が難航するケースも少なからず存在する。そこで今回は、年俸調停を申し立てた経験がある選手を紹介する。
落合博満
投打:右投右打
身長/体重:178cm/82kg
生年月日:1953年12月9日
経歴:秋田工-東洋大-東芝府中
ドラフト:1978年ドラフト3位
日本人で初めて年俸調停を申請したのは、当時中日ドラゴンズに在籍した落合博満だった。
落合は、ロッテオリオンズ時代に打撃タイトルを総なめ。1986年には打率.360・50本塁打・116打点、NPBシーズン記録となる出塁率.487をマークし、自身3度目の三冠王に輝いた。だが、当時監督を務めた故・稲尾和久が同年限りで監督を退任することになり、紆余曲折を経て中日にトレード移籍となる。
移籍後も持ち前の打棒を発揮し、1990年は二冠王(34本塁打、102打点)を獲得。しかし、同年オフに球団との契約更改が難航し、年俸調停を申請した。
結果的に球団側の提示額で契約することとなったが、2年後の1993年オフにはフリーエージェント(FA)権を行使し、読売ジャイアンツへ活躍の場を移した。落合の事例で「年俸調停」という言葉は世に広まったといえるだろう。