カギは味方打線の援護――今世紀5人目の「20勝投手」は誕生するか【広尾晃の「ネタになる記録ばなし」】
ブログ「野球の記録で話したい」を運営中で『プロ野球解説者を解説する』(イーストプレス刊)の著者でもある広尾晃氏。当WEBサイトでは、MLBとNPBの記録をテーマに、週2回、野球ファンがいつもと違う視点で野球を楽しめるコラムを提供していく。今回は20勝投手についてだ。
2016/02/03
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次の先発の合間に救援登板も普通だった
昨年、最も多く先発したのはセが前田健太(広島)、メッセンジャー(阪神)の29、パは則本昂大(楽天)、涌井秀章(ロッテ)の28だった。これだけの先発数で20勝を挙げようとすれば、負け、勝敗つかずの試合を一桁に抑えなければならない。
実力が拮抗した今のNPBでは、至難の業だ。
42勝した1961年の稲尾和久(西鉄)と、24勝した2013年の田中将大(楽天)の成績を先発、救援に分けると興味深いことがわかる。
稲尾は30先発で24勝5敗という成績。これは27先発で24勝0敗の田中将大と大差がない。
しかし稲尾は救援で48試合も登板して18勝、さらに今の基準でいえば11セーブを記録している(野球史家田畑智則氏調べ)。田中は9月26日の西武戦に緊急登板したのみ。
稲尾の時代も、ローテーションはあったが、中3~4日の間隔で先発のマウンドに立っていた。今の時代なら次の先発までの間はベンチから外れるか、ベンチにいても「上がり」なのだが、稲尾はローテの谷間では救援投手としてマウンドに上がっていたのだ。しかも2~3回のロングリリーフも当たり前だった。
1960年代の大投手は、今の先発投手の役割に加えて、抑えのエースとしても活躍したのだ。その結果、25勝や30勝という記録を打ち立てることができたのだ。