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『ミラクル星稜』再び――右ひじ手術のロッテ岩下を支える言葉【マリーンズファーム通信#9】

『ミラクル星稜』の立役者の一人だった岩下大輝。プロ1年目オフ、その岩下の右ひじが悲鳴を上げた。右肘内側側副靭帯再建術(通称トミー・ジョン手術)を受けて、長いリハビリが始まる。

2016/02/02

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小野コーチの言葉

 右ひじの強い違和感を覚えたのは宮崎フェニックスリーグが行われた昨年10月。急きょ、帰京し、神奈川県横浜市内の病院で検査を行った。
 
 肘の疲労骨折に伴う痛みで、右肘内側側副靭帯再建術が必要との診断が出た。術後3週間はギプス固定し、入院。6カ月後にシャドーピッチング開始で、9カ月後で通常のピッチングが目標。まだプロで1シーズンしか経験をしていない若者に突き付けられたあまりに重い現実に、頭は真っ白になった。ギブス固定した状態では走ることもできない。限られた運動をただこなすだけの我慢の日々が始まった。
 
 本当にいろいろな人が声を掛けてくれた。今年の春季キャンプから二軍投手コーチに就任した小野晋吾もその一人だ。スカウトになった1年目の14年に岩下をドラフト3位でのマリーンズ入団へと導いてくれた人。初めて見かけたのは星稜高校のグラウンドで練習をしていた時だった。
 
「術後にどれだけの状態を作れるか。そこからどう伸びるか。挫折や怪我が人を大きくする。オレもいろいろな怪我や挫折を味わった。一通りの怪我をしたよ。でも、それがあったからこそ、38歳まで野球をやれたと思っている。プラスに考えるしかない」
 
 手術して2日後の11月8日。小野晋吾がお見舞いに来てくれた。病院の食堂で二人だけで昼食をとった。これから待っているのは、辛く長いリハビリ。その大事さを聞いた。
 
「オレは手術をして、スケールアップして戻ってきた選手を何人も知っている。早いタイミングでやれてよかったと思うことだよ」
 
 二人はシーズン中から近況報告などをメールでやりとりを繰り返していた。
 お互い、大切に保存しているメールがある。
 
 二軍でプロ初登板した日のやりとり。8月27日のイースタンリーグ・ヤクルト戦(ロッテ浦和)。投げ終わった後、結果をメールした。1回を投げて3失点。ほろ苦いデビュー戦に「なんとかデビューしましたが、まだまだです」と送った。小野からは「おめでとう。オレの負けだ」とメッセージが帰ってきた。そして「オレより早いデビューだよ。オレは1年目の最終戦だから」と添えられていた。
 
 一軍で293試合に投げて85勝を挙げたマリーンズを代表する投手が1年目の最終戦までファームですらデビューできなかったことに驚いた。そして、自身を例え、独特の表現で励ましてくれたことに深く感謝をした。
 
「自分を評価してくれた小野さんの顔に泥を塗らないように、絶対に頑張ります!」
 
 力強く返信をした。その後、小野は二軍投手コーチに転身。今はコーチと選手の関係となったが、復帰への道筋を作りアドバイスをしてくれている。

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