清原和博と野村貴仁、因縁浅からぬ二人の関係
球界の大スターだった清原和博の逮捕によって、過去、薬物使用で逮捕歴のある選手が思わぬ形で浮き上がる。オリックス時代にセットアッパーとして大活躍した野村貴仁もその一人だ。
2016/02/10
巨人移籍以降、成績は低迷。そしてMLBへ
1998年に木田優夫とのトレードで巨人へ。しかしこのころから成績は下降線をたどり、4年で退団。2002年シーズン、MLBへ移籍する。
ミルウォーキー・ブリュワーズの開幕ロースターに入った野村は、4月3日のアストロズ戦に5人目として登板。フリオ・ルーゴ、代打ブライアン・ハンターを三振、殿堂入り打者クレイグ・ビジオを遊ゴロに仕留めた。
しかし、2戦目のダイアモンドバックス戦で投手のランディ・ジョンソンに犠飛を打たれるなど3失点、5月に入ると7度の登板で13失点してマイナー落ち、一年で戦力外になった。
以後は日本ハム、台湾の誠泰コブラズと渡り歩くが結果を出せず、2004年に引退。
プロ初奪三振は清原から
2006年高知市内で覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕され、執行猶予付きの有罪判決を受けた。
今回の清原和博の覚せい剤所持、逮捕事件によって「引退したプロ野球選手の覚せい剤関連事件」ということで、野村の名前が上がるようになった。
野村は公判で現役時代からアンフェタミン系などの薬物を使用していたことを認めた。
一部報道では野村は「巨人のチームメイトだった現役時代の清原に覚せい剤を渡したと証言した」と報じられている。
ちなみに、2歳上の清原和博は1992年4月21日の西武戦で、野村がプロ入りして初めて三振に切って取った打者だ。
それ以来の因縁ではあるが、このような形で二人の一流野球人が、引退後のクローズアップされるのは、何とも残念なことだ。