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誕生日が1日違っていたら……同世代選手の目標だった桑田真澄と清原和博。甲子園をわかせプロに進んだ「KK世代」

長き高校野球の歴史において、桑田・清原の「KKコンビ」は一つの時代となっている。この世代において、プロで活躍した選手はどのような選手がいたのだろうか。

2016/02/11

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チームを代表する投手に成長

 投手はどうだろうか。40勝または40セーブ以上の投手は8人いる。桑田、佐々木、中山はNPB通算成績。
 
・桑田真澄 173勝14S 68年4月1日生 PL学園-巨人、パイレーツ
 
・佐々岡真司 138勝106S 67年8月26日生 浜田商-NTT中国、広島
 
・野田浩司 89勝9S 68年2月9日生 多良木高-九州産交、阪神、オリックス
 
・中山裕章 51勝62S 67年11月4日生 高知商-大洋-中日、台湾・中信
 
・渡辺智男 45勝2S 67年6月23日生 伊野商-NTT四国-西武、ダイエー、西武
 
・佐々木主浩 43勝252S 68年2月22日生 東北高-東北福祉大-大洋・横浜、マリナーズ、横浜
 
・葛西 稔 36勝29S 67年5月5日生  東北高-法政大-阪神
 
・河本育之 36勝95S 67年10月21日生 田布施工-新日鐵光-ロッテ、巨人、日本ハム、楽天
 
 中山は高知商の投手として83年夏、85年夏の2回、KKを擁するPL学園と対戦。85年は準々決勝で桑田真澄と投げ合う。中山自身のタイムリーで先制するが、桑田、清原にW本塁打を打たれ、3-6で敗退した。
 
 渡辺智男は、伊野商のエースとして85年春に甲子園に出場。チームも甲子園初出場だった。準決勝でPL学園と対戦。桑田と投げ合って3-1で勝利。桑田を4打数無安打、清原も3打数3三振1四球と抑え、大金星を挙げた。
 伊野商はその勢いで初優勝。KKコンビがいたPL学園が決勝に進めなかったのはこの大会だけだ。
 
 佐々木主浩は、東北高校のエースとして84年夏(3回戦敗退)、85年春(ベスト8)85年夏(ベスト8)と3季連続で甲子園に出場したが、PL学園との対戦はなかった。
 葛西稔は東北高校では、佐々木主浩の控え投手兼内野手だった。河本育之は田布施工時代は軟式野球の投手だった。
 
 また通算18勝、30セーブをあげて現中日投手コーチを務めるデニー友利(1968年9月21日生 興南高-横浜、西武、横浜、中日)もこの世代だ。
 
 なお桑田真澄は誕生日が1日違えば、清原和博らこの世代の選手の下級生になっていた。桑田のわずか2日後に現阪神監督の金本知憲(1968年4月3日生 広陵高-東北福祉大-広島、阪神)が生まれている。
 
 この世代にとってPL学園、そしてKKは圧倒的な存在だった。
 しかしこの世代で最初にプロ野球殿堂入りしたのは、KKではなく佐々木主浩だった。2005年に引退後、9年目での選出となった。
 順調にいけば2008年引退の清原和博がこれに続くはずだったが、その機会は失われた。
 
「KK世代」という言葉すらやがて忘れ去られてしまう可能性も少なくはない。

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