原 嵩、母との想い出とともに「マウンドで結果を出し、社会に笑顔を届ける」【マリーンズファーム通信#12】
最も身近な人を亡くして、初めて気づかされるものがある。マリーンズの新人・原 嵩は今、『感謝』の気持ちを抱きながら、プロ野球人生の第一歩を踏み出した。
2016/02/14
千葉ロッテマリーンズ
早すぎる母との別れ
涙が止まらなかった。
突然、我慢をしていた感情が噴き出しかのように涙が溢れ出した。
原 嵩投手が高校2年生だった時の7月3日。母を病気で亡くした。癌だった。家族から状況が悪化している事を知らされたのはわずか1週間前の事。あまりにも急な別れ。ショックのあまり、頭が真っ白になった。
野球に集中できない日々が続く。時間だけは過ぎていった。気持ちは引きずったまま時だけが流れた。
12月になったある日。通学途中の電車で、9歳上の姉の通勤と一緒になった。2人で電車に揺られていると、ふと母の笑っている顔が頭に浮かび、自然と涙がこぼれた。電車の中、人目はばからず泣いた。その時に姉が励ましてくれた言葉が、気持ちを入れ替える大きなキッカケとなった。
「辛いのはわかるけど、一番、辛いのはお母さんだよ。アナタがいつまでも下を向いてばっかりいると、お母さんが悲しむよ。私たちは、これからなんとか前を向いてしっかりと生きないといけない」
電車の中で何度も優しく声を掛けてくれた。背中をさすってくれた。
野球を始めるキッカケとなった5歳年上の兄も同じ想いだった。「今は野球で結果を出して喜ばせてあげるべきだと思うよ。いつまでも、ふさぎ込んでいたところでお母さんは喜ばない」――ハッとさせられた。そして3人でいつも話をしていた約束を思い出した。兄が小学校3年生の時に野球を始め、母に連れられて一緒にグラウンドにいった。自然とボールを握るようになっていた。小学校1年生から野球を始める。練習の帰り道、母と兄と3人でよく夢を語り合った。それはいつも同じ夢だった。