まさかの”不良債権”…阪神、期待外れの成績に終わったFA移籍選手6人。積極補強の失敗例に
2024/11/15
産経新聞社
石嶺和彦
長打力を武器に阪急、オリックスで存在感を放った石嶺和彦。チーム状況が厳しいという事実もあったが、活躍してほしい選手ではあったはずだ。
豊見城高校では甲子園出場の経験があり、当時から注目を集める存在に。ただ、死球で左ひざを痛めた影響から、一時は社会人または大学でプレーすることを考えていたという。それでも、球団側からの熱意によって、プロ入りを決意した。
石嶺がブレイクのきっかけを掴んだのは1985年。打席数は174ながら14本塁打を放ち、打率も.302と好成績を残した。
そして翌1986年、規定打席に到達した石嶺は打率.300・33本塁打と才能が一気に開花。同球団では計241本のアーチを描いた。
1994年からは、FA移籍先の阪神タイガースでプレー。初年度こそ130試合出場と出番を獲得していたが、残りの2年は100試合未満の出場にとどまり、打撃でも不本意な成績に終わった。