これぞ“ケガの功名”? プロ野球、故障を乗り越え躍進した歴代選手5人。離脱が飛躍のきっかけに
2023/04/17
産経新聞社
牛島和彦
・投打:右投右打
・身長/体重:177cm/70kg
・生年月日:1961年4月13日
・経歴:浪商高
・ドラフト:1979年ドラフト1位
NPB通算126セーブを記録した牛島和彦。“伝説の魔球”と呼ばれたフォークは、ケガの功名で生まれたボールであった。
浪商高時代には、“ドカベン”の愛称で親しまれた香川伸行とのバッテリーで甲子園を沸かし、1979年ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。プロ1年目から一軍デビューを果たし、2勝を挙げた。
しかし、プロ入り当初は手が小さいことからフォークボールを操れず、打ち込まれる場面が目立った。ところが、指の関節が外れるけがを負うと、関節が広がった結果、魔球を手に入れることとなった。
同球種をマスターした牛島は、プロ3年目の1982年にリリーフエースとして17セーブを挙げると、1984年にはリーグ最多の29セーブをマークした。
1986年オフにはロッテオリオンズに電撃トレードとなったが、移籍後も2年連続で最多セーブのタイトルを戴冠。1989年には先発に転向し、自己最多の12勝を挙げた。
以降は故障に悩まされ、32歳の若さで現役を引退することになったが、多くの功績を残した。