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松坂大輔も続くことができるか? 村田兆治、桑田真澄、館山昌平…長いブランクから再起に成功した投手

野球選手にとって怪我はつきもの。特に投手は長年の勤続疲労によって、肘や肩にメスを入れるケースは多い。特にトミー・ジョン手術を受けると復活までに長い時間を要するが、厳しいリハビリを経て再起に成功し、手術後もチームの主力選手として活躍した選手も多い。

2016/03/20

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肘への負担を考慮して誕生したサンデー兆治

 球史を紐解けば、過去には1年以上のブランクを経て見事に復活した投手が何人もいる。
 
 その代表格がロッテの村田兆治だろう。
 1967年ドラフト1位で東京オリオンズ(当時)に入団した村田は、1982年までロッテのエースとして156勝127敗、防御率3.00の成績を上げたが、この年に右ひじを故障。翌1983年渡米し、フランク・ジョーブ博士の執刀でトミー・ジョン手術を受けた。1984年終盤にマウンドに復帰。1985年4月14日の西武戦では1982年5月7日の日本ハム戦以来、1073日ぶりの157勝目を挙げた。
 
 右ひじの状態を考慮して、村田は中6日という当時としては異例の長い登板間隔で投げた。毎週日曜日にマウンドに上がったことから「サンデー兆治」の異名をとった。
 
 35歳で復帰した村田は、41歳まで投げて、さらに59勝(50敗)を積み上げ、通算215勝。2005年には野球殿堂入りも果たしている。
 
 巨人の桑田真澄も長いブランクを克服した。1985年、ドラフト1位で巨人に入団した桑田は、95年まで109勝85敗、防御率3.13の成績を上げ、斎藤雅樹、槙原寛己らと巨人の先発投手陣の一角を担ったが、1995年6月15日の阪神戦で右ひじを負傷し、渡米してトミー・ジョン手術を受けた。
 
 1997年4月6日のヤクルト戦で661日ぶりに復帰。この試合で、桑田が負傷した右ひじをマウンドにつけて祈るようなポーズを見せたシーンは、多くの人々の感動を呼んだ。
 
 桑田は以後10シーズンにわたって巨人で投げ、64勝(56敗)を積み上げ、通算173勝とした。また巨人退団後は1シーズンだが、ピッツバーグパイレーツで投げている。

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