いつか背番号「122」から「22」へ。ロッテ・柿沼、憧れの大捕手を夢見て【マリーンズ浦和ファーム通信#17】
2015年育成ドラフト2位でマリーンズに入団した柿沼友哉。指名を受けた本人は信じられない気持ちだったという。そんな柿沼は支配下登録を目指して、プロ野球選手として日々奮闘している。
2016/04/13
千葉ロッテマリーンズ
本人も驚きのドラフト指名
あの日の事を忘れない。2015年10月22日。岐阜での試合を終えて、静岡県三島市に戻る野球部のバスの中だった。それまで静かだった車内が、東名高速道路の浜松ICを通過した時、突如、興奮に包まれた。スマートフォンを見ていたチームメイトが叫んだ。「指名されたぞ!」。育成ドラフト2位で柿沼友哉捕手は千葉ロッテマリーンズに指名された。ただ、当の本人は信じられなかった。車内で仲間たちが盛り上がる中、狐につままれたような気分だった。和泉貴樹野球部監督から「頑張れよ」と声をかけられ、初めてその事実を受け止めることができた。
「プロ志望届は出しましたけど、自分の中では、あるはずないと思っていました。だから、志望届を出したのも、締め切りの前日でギリギリ。とりあえずという気持ちでした」
輝かしい実績はない。プロへの想いも、憧れはあっても、現実としては受け入れていなかった。だから、大学4年になると、地元茨城県の企業を中心にエントリーシートを出した。銀行、住宅関連、建設関連と幅広く就職活動をするつもりだった。
そんなある日、当時、東海担当スカウトを務めていた小野晋吾氏(今季より二軍投手コーチ)が東海大会の視察に訪れた。最大のお目当ては相手チームのエース。そこで柿沼は存在感を見せた。
「盗塁を3つ連続で刺しました。それを見てくれたのだと思う。あれがなければ目に留まることもなかったし、今、マリーンズにいない。大学で野球を辞めていたと思います」
当時のことを懐かしそうに柿沼は振り返った。
ただスカウトは肩だけではなく捕手としての総合点を評価していた。
「いい肩をしていると思ったよ。でも、それだけじゃなかった。投手への声のかけ方。全体への指示の出し方。そして4番としての打力。すべてにおいて、感じるものがあった。この子、いい雰囲気を持っているなと思って、チェックした」
小野晋吾二軍投手コーチは当時の印象を振り返る。今は偶然にも同じ浦和の二軍球場で顔を合わせる。ただ、あの時と立場が違う。スカウト時代の担当選手だったからといって特別に声を掛けることはしない。遠目から頑張っている背中をうれしそうに見ている。