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球団誕生とともに50年。応援は、いつまでも「放っておけなくて走る人」の精神で【えのきどいちろうのファイターズチャンネル#216】

高校サッカー選手権の星稜対市立船橋戦には、駆けつけられない応援部隊の代わりに「直接的には関係はない」人々がそれぞれの意志で柏の葉競技場に集い、星稜を応援した。このいてもたってもいられない気持ちは、50年前ファイターズを応援しはじめた頃と重なる。

2024/01/07

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産経新聞社



日本ハム・新庄剛志監督

急造・星稜応援団が教えてくれたこと

 2024年は能登半島地震と羽田の航空機衝突事故で不穏な幕開けとなった。何はさておき被害に遭われた方にお悔やみとお見舞いを申し上げたい。「お屠蘇気分が吹っ飛ぶ」という表現があるが、今年は正月がなかった感じがする。サッカーの仕事でツエーゲン金沢、アルビレックス新潟に知人がいて安否確認をしたり、高校サッカー選手権の石川県代表、星稜高校の試合に応援部隊が来られない(交通手段がストップした)と知って、柏の葉競技場へすっ飛んで行ったりしてるうちに仕事始めの日を迎えてしまった。
 
 野球コラムでサッカーの話をするのも何なんだけど…。
 
 正月2日、体験した星稜高校のサッカー応援は、「応援」の原点を思い出させてくれるものだった。皆、地震のニュースや、星稜高校関係者の「行ける人がいたら代わりに応援してやって」のSNS発信等を見て、取るものも取り合えず駆けつけた人ばかりだ、関東で働く星稜OB、石川県出身者ももちろんいた。が、「何の関係もない人」もめちゃくちゃ多かった。素晴らしいのは大会敗退が決まったばかりの神奈川県代表、日大藤沢サッカー部が(スクールカラーのピンクのジャージの上に)監督さんの家にあったという黄色のゴミ袋を着て応援歌(チャント)を歌い続けたことだ。首と手を通すところに穴を開けて、胸には下手くそな字で「星稜高校」と大書してあった。柏レイソル、ジェフ千葉、栃木SCといった黄色いクラブのサポーターもいた。ちなみに僕はベンチコートの上にびろんびろんに伸ばした黄色のTシャツを着た。おわかりかと思うが、星稜のユニフォームは黄色なのだ。つまり、星稜応援席は義侠心だけで押しかけた「非・星稜」の巣窟だ。試合は市立船橋に負けてしまったが、皆、最後まで一心に応援した。
 
※対戦相手の市立船橋は星稜側に応援メガホンの友情貸与をしてくれた。また勝ち上がった準々決勝、名古屋戦では、託された「石川 星稜」「がんばれ! 日本の絆 今こそ強く」のダンマクを掲げてくれた。
 
 「応援」の原点。それはやっぱり気持ちなのだと思う。僕自身の行動を振り返ってみると、元日の19時台には「これは放っとけないな」とセブンイレブンへ走って、翌日の前売りを買っていた。特段、誰にも声をかけたりしない。皆、お正月で予定があるだろう。単独行動。別に自分が星稜を応援すれば勝つとか、それが被災地のためになるとか1ミリも思っていない。とにかく「放っとけない」のだ。考えるより先に動く。理由は後から考えればいい。

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