応援歌作詞をきっかけにファイターズファンになりました【音楽と野球 いしわたり淳治さん インタビュー〈#1〉】
多角的な視点で“新しい野球のミカタ”をお届けする連載「音楽と野球」。今シーズンのトップバッターは、北海道日本ハムファイターズ応援歌「La La La FIGHTERS」の作詞を手掛けた、いしわたり淳治さん。ロックバンドSUPERCARのメンバーとしてデビューし、解散後は作詞家・音楽プロデューサーとして数多くの作品を世に送り出し続ける、まさに “ヒットメーカー”だ。そんな彼の野球の見方は独特! 個性光る発想が印象的なインタビューになった。
2016/04/24
エースで4番。野球に熱を入れた中学時代
――いしわたりさんは野球少年だったそうですね。
小学3年から中学3年、高1の時も数カ月やっていました。小学校には野球部がなかったのでクラブチームで週に3、4回の練習でしたね。中学に入ってからは、熱を入れて野球部でがっつりとやっていました。
――練習は厳しかったですか? 確かピッチャーだったんですよね。
小学生の時はサードで、4番を打っていたような気がします。中学ではエースで4番でした。時代もあると思いますが、練習は厳しかったかなぁ。まだ水を飲んじゃダメという風潮がありましたから。
――ずっとエースで4番だった少年は、高校生になり数カ月で野球をやめてしまうわけですが・・・・・・。
はい。今もそうなんですけど、僕、肩が外れているんです。幼い頃、よく脱臼をしていたみたいで、最初は外れるたびに病院に行ったみたいなんですけど、そのうち親が治すようになって、最後に入れた時にちゃんとはまっていなかったらしくて・・・・・・。ピッチャーをやり始めてから「どうやら肩が外れていて痛い」って気がついたんです。それでも中学では思い切りやっていました。でも、硬式のボールを投げ続けるのは大変だろうと考えて、勉強メインの高校に進学したんです。だけど、野球部が弱くて、すぐにやめてしまいました。今でも草野球はやっていますけど、ピッチャーはできません。
――そうだったんですね。小学3年の時に「野球をやりたい」と思ったきっかけは?
母親が巨人ファンで、父親は野球には興味がない人だったんですけど、そんな父が冗談なのか嫌がらせなのか(笑)、阪神の帽子を買ってきて僕に被せていたんです。それで阪神という球団を認識して、応援をするようになったのが小学2年の84年。そして翌年の85年が、いわゆる「バース・掛布・岡田」の時代で、最も野球が派手で面白かったんです。だから自分が野球をやるきっかけになったのは、阪神ファンになったからですね。
――ご出身の青森では、阪神戦のテレビ中継はやっていなかったのでは?
ほとんど巨人戦しかやっていなかったので、ラジオに耳を近づけて聴いていました。それで十分に楽しんでいた記憶があります。そのあと、86年にファミスタが出るんですよ。だから、ラジオで聴いた選手名やプレーの特徴をファミスタでおさらいしていました。本当の試合が見られなくても擬似的に「僕の阪神タイガース」があったんです (笑)。
――そう! ここまでのお話に加え、私の個人的な記憶としても、いしわたりさんは阪神ファンだったはず(笑)。SUPERCAR時代のブログにも阪神グッズがたくさん載っていました。ファイターズに心を奪われたのは、やはり2009年に応援歌を作詞されたことがきっかけですか?
確かに阪神グッズもすごく集めていましたね。仕事で大阪に行った時には、グッズを買うために30分くらい駅周辺に長居していましたから。ファイターズファンになったのは、まさに「La La La FIGHTERS」の作詞がきっかけです。ケガが原因でやめてしまったけど、プロ野球選手になれるものならなりたいと思いながら野球をやっていた僕が、回り回ってプロ野球の球団と仕事ができるなんて、すごく光栄だなと思って、うれしかったんですよね。だからもう、その時からファイターズを応援しています。
――では、いしわたりさんから見たファイターズの魅力を教えてください。
うーん、僕の場合はファンへのなり方が少しイレギュラーですからね。応援歌の作詞の話を頂いてから「よし、応援しよう」と決めて応援し始めていますからね。
――クールですね。そういうニュアンスで原稿にしても大丈夫ですか?
でも僕は、ファンってそういうものだと思っていますから。だって、誰にも強要されていないのに「このチームを応援する」って決めただけなんですよ。夜中に全く知らないセリエAの試合を見ていても、見ているうちに気がつけばどちらかを応援していることってありませんか?
――あります!
そういうものが徐々に膨れ上がって、どんどんファンになると思うんですよね。たぶん恋愛も同じで「好きだ」って決めるから好きになるんですよ。だから僕は「ファイターズが好きだ」って決めたんです。
――そうか、そうですよね。小学生の時は、お父さんに被せられた帽子が阪神のものだったから・・・・・・。
そう。何か参加意識が生まれて、この帽子のチームを応援しようって決めたという(笑)。