ホークス松坂「一番は全国に友達ができた」。鷹選手たちが振り返る甲子園の思い出
まもなく夏の甲子園が始まる。現在プロ野球の世界で奮闘するホークスの選手たちも甲子園は野球人生にとって大切な思い出となっている。
2016/07/30
甲子園で思うように投げられなかった松本
毎年、この季節がくると、現在はプロの世界で奮闘しているホークスの選手たちも、高校野球は気になる話題のようだ。母校の先生や後輩たちに連絡したり、オフ日に応援に駆け付けたりするという。
今年も、第98回全国高等学校野球選手権の都道府県大会は白熱。強豪校の初戦敗退、ノーシードからの躍進など、例年以上に、各地で波乱が起きた。また、優勝候補のプレッシャーと闘いながらも順当に勝ち抜き、夏切符を手にした高校も見事だ。いつまでも青春の象徴である高校野球。夏の甲子園を前に、ホークスの選手たちに、当時の思い出を振り返ってもらった。
まだ記憶に新しい一昨年、夏の甲子園に出場した盛岡大附高(岩手)のエースで4番、松本裕樹。当時、大谷二世とも騒がれ、投げては最速150キロ、打っては高校通算54本塁打と、二刀流でチームを引っ張ってきた。
そんな松本の最後の夏は、岩手県大会決勝で痛めた右肘の影響で、甲子園では本来の姿を魅せることはできなかった。しかし、それでも痛み止めを飲んでマウンドに立ち、初戦の東海大相模戦では、3失点完投勝利。2回戦の敦賀気比戦では、2回2/3で9失点と肘の痛みも限界に達し、悔しい敗戦となった。それでも松本は、「最後の夏は、楽しかったですね~」と振り返る。「(肘の痛みはあったが)最後だったんで、もう投げるだけでした」とエースの意地と責任を感じさせる。そして、今年、松本以来の甲子園出場を決めた母校にもエールを送っていた。
県大会決勝が印象に残る上林
2013年、みちのくのイチローと呼ばれた仙台育英の上林誠知。
普段、クールに振る舞う上林だが、高校野球の話を振ると、急にテンションが上がった。「宮城大会の決勝! 自分たち、劇的な逆転勝ちしたんすよー!」と、3年夏の宮城県大会決勝を一番の思い出に挙げた。
「秋の大会でも負けた相手(柴田)で、初回に5点取られてやばいってなって、エラーした子がまず1点返して、自分が二死満塁から2点タイムリー、ソロホームラン打って、最後は打ててなかった子が同点タイムリー、最後は押し出しでサヨナラです!」
やや興奮気味に、そして鮮明にスルスルと言葉が出てきた。野球で初めて泣いたという熱戦を制して、見事、甲子園への切符をつかんだ上林だった。