光星学院(現八戸学院光星)出身、阪神・北條史也とロッテ・田村龍弘。2人の母が語る「次なる夢」――幼馴染のプロ初対戦
幼き日から白球を追ってきた2人が1軍の舞台で顔を合わせた。7日からのロッテ対阪神の交流戦3連戦で、ロッテ・田村龍弘捕手と阪神・北條史也内野手が対戦。3試合ともスタメンで出場した。お互いをライバル視してきた2人は、それぞれの道を歩み、そして、現在地を確認した。
2016/06/10
小学校から高校までチームメイトだった2人
4年前のドラフト会議の日。対戦したい選手は誰かと聞かれた田村は「何年後になるかわからないですけど、北條とプロの舞台で対戦できたらいいなと思います」と答えた。この回答に対し、北條も「(田村とは)小さい頃から一緒にやってきて、プロの舞台で対戦するのは夢だったので対戦したいなと思います」と話した。
互いの存在によって、今がある。
2人の出会いは小学4年の夏のことだった。田村がすでにプレーしていた浜寺ボーイズに北條が入団したことがきっかけだ。田村は北條の第一印象を覚えていないが、北條は 「(田村は)2歳上の田村の兄(次兄)と身長がほぼ同じだったから2人は双子で年上なんだと思った」と回想している。
2人がチームメイトとしてプレーしたのは小学5年まで。小学6年の時、田村がジュニアホークスに移った。この時、投手・田村は打者・北條を抑え込んでいる。対戦成績は北條の5打数無安打。北條は年間で5つしか三振をしなかったのだが、そのうちの4つは田村に奪われた。
小学校最後の1年はチームメイトではなかったが、選抜チームで、投手・田村、捕手・北條でバッテリーを組んだことがある。この時、初戦でノーヒットノーランを成し遂げ、準決勝では初めてアベックホームランを放った。
田村が声をかけ、中学はともにオール狭山ボーイズで(現大阪狭山ボーイズ)プレーした。3、4番を打ち、ダブルヘッダーの1日2試合で計7本塁打をしたこともあった。高校は熱心な誘いで光星学院(現八戸学院光星)に進むのだが、先に北條が決心を固め、「一緒に行こう」と田村を誘った。どの高校に進学するか、迷う田村だったが「史也と一緒やったら甲子園に近づける」という理由から光星学院に進むことを決めた。
人生が変わった一打
光星学院では、田村が1年秋の東北大会で1試合3本塁打を放ち、一躍注目を浴びた。北條の名前が広まったのは、それから約1年後の2年秋の明治神宮大会の初戦の準々決勝で逆転サヨナラ満塁本塁打を放ってからだ。北條は「あれで人生が変わった」と自信を深めた試合に挙げている。
2年夏から3年のセンバツ大会、選手権大会と3季連続で決勝の舞台を踏んだ。特に3年夏は田村が19打数9安打2本塁打、北條が20打数8安打4本塁打と躍動。ともに高校日本代表にも選ばれた。
小学6年の1年間を除き、チームメイトとしてプレーしてきた2人は夢のプロ入りで道が分かれた。北條が阪神から2位指名を受け、田村はロッテに3位で指名された。北條は「自分は田村に小、中とライバル意識があった。でも、すべての面で完全に負けていた。高校になって、田村に追いつこうと思って日々、努力してきたので、ここまで来られたのも田村のお陰」と話し、田村も「北條をライバル視して刺激しあえるチームメイトだったので、天狗になることもなかったし、謙虚に考えることもできた。北條にはすごく感謝している」と互いに“起爆剤”であったことを認め合った。そして、対戦が次の夢であることを話した。