落合博満GMは本当に選手を見る目がないのか? 選手を生かすための〝自由契約〟活用
今オフ、中日ドラゴンズから自由契約となった選手が相次いで他球団への入団を決めている。なぜ中日は若い有望な選手を放出するのか――そこにはトレードを経験した落合GMならではの考え方がある。
2014/11/30
トレードはポジティブに考えるべき
プロ野球界は、いわゆるストーブ・リーグの真っ只中だ。
海外フリー・エージェント(以下FA)権を行使した鳥谷 敬(阪神)、国内FA宣言直後に右肘の手術に踏み切った金子千尋(オリックス)の去就を軸に、例年より多くの選手がトレード、自由契約を含めて来季の所属球団を変えている。
そうした中、ドラフト会議で高校生を指名せず、12球団合同トライアウトを経て八木智哉(前・オリックス)、亀澤恭平(前・福岡ソフトバンク育成)と契約した中日の落合博満GMは、独自の方法論でチーム強化を進めている。
「トレードはもっとポジティブにとらえなければいけない」
3度の三冠王を手にするなどプロ野球界を牽引する立場であった当時、落合は何度もそう口にした。入団から引退まで、基本的に選手が球団を選ぶことができなかったプロ野球界で、球団を移ることにはいいイメージがなかった。
「男子一生の仕事」が当たり前の社会で、プロ野球の移籍は「厄介払い」とも考えられていた。そんな風潮が残っていた1986年オフ、落合は1対4という〝世紀のトレード〟でロッテから中日へ移籍した。
「あのトレードが野球観を変えてくれた。あのままロッテにいたら、私自身も生え抜き主義というか、トレードをいいものだとは思わなかっただろう。でも、現実に球団を移ってみると、野球をやることに変わりはないと実感できる。また、色々な球団の文化に触れて視野も広がる。そのあと、FAで巨人と契約して、その巨人を自由契約になって日本ハムへ移ったけれど、私にとってはどの球団もよかったし、お世話になったという気持ち。20年間プロ野球株式会社で働くうち、3回ほど部署を異動したという感じかな」
そうした経験をしたからこそ、せっかくの人材を生かすためにも、プロ野球界全体でトレードに積極的にならなければいけないと考えた。
ネックになるのは、「移籍先で活躍されたら、自分に見る目がなかったと思われる」というフロントや監督のつまらない見栄であり、それが飼い殺しにもつながっていく。
「ただ、トレードの場合は交換相手で折り合いがつかず、結局は破談になってしまうケースも少なくない。ならば金銭トレードがあるけれど、これも成立させるまでには意外と時間がかかる場合がある」