東京ヤクルト・山田、履正社時代の勝負弱さを練習と意識で克服。同世代のトップ選手へ大成
今や日本球界を代表する選手へ成長を遂げた東京ヤクルトの山田哲人だが、高校時代は勝負弱い打者だった。
2016/08/01
低調だった2年生のPL学園戦
31日、第98回全国高校野球選手権大会大阪大会の決勝戦が行われた。
プロ注目の寺島成輝がエースとして君臨する履正社は金光大阪を12―0と圧倒。6年ぶり3度目の夏出場を勝ち取った。
その履正社を経てプロに入り、大成したのが東京ヤクルトスワローズの山田哲人だ。
2015年にトリプルスリーを達成するなど爆発的な活躍を見せ続けているが、その高校時代は、入学当初から高い能力を生かしてきたわけではなかった。
彼が3年生の春を迎えるころまで、“普通のショート”の域を少し出たくらいの評価だった。
「ここイチ(ここ1番の場面)弱かったですからね」
かつての山田が自身のパフォーマンスを嘆いていたのは大事な場面での勝負弱さだ。
特に記憶にあるのが、同学年のライバルでPL学園の吉川大幾(中日~巨人)との直接対決で敗れた2年秋の大阪大会準々決勝のことだった。
試合は山田のいる履正社が先制点を挙げながら、その直後の満塁のピンチで、山田がセンターと遊撃手の間の飛球を捕ることができず、そこから3失点。攻撃面でも山田はチャンスで凡退するなどノーヒットに終わり、敗れたのだ。翌春のセンバツ出場が掛かった大事な一戦で山田は低調なパフォーマンスに終始した。
「ココという試合やチャンスの場面で全然打てなかった。どうでもいい試合では打てるんですけど、(ライバルの)PL学園との試合やチャンスで結果を出していないんで、目立っていなかったと思います。正直、バッターボックスに入ってちびっていました。自信がなくて……そういうところから負けていた」