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上沢直之という夢の終わり。思いを断ち、打ち崩す【えのきどいちろうのファイターズチャンネル#239】

ファイターズの苦しい時期を先発の柱として奮闘した上沢直之。昨年ポスティングシステムでアメリカに渡ったものの結果が伴わず、来季より日本プロ野球界への復帰が決まった。しかし上沢が選択したチームは古巣ではなく福岡ソフトバンクホークスだった。

2024/12/22 NEW

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産経新聞社



ボストン・レッドソックスの上沢直之

「暗黒期」の不遇なエース

 上沢直之について書かなきゃならない。気持ちの整理をつけなきゃならない。正確にいえば彼の前所属球団は北海道日本ハムファイターズではなく、当連載コラム(「ファイターズチャンネル」)で扱う対象ではないのだろう。それでも上沢直之は特別な存在だ。2019年の交流戦でソト(当時、DeNA)の打球がヒザを直撃し、左膝蓋骨の整復手術→長期戦線離脱となったとき、僕は自分がいちばん好きなコーヒーを断とうと決意をした(こういうとき、一般的には酒断ちなのかもしれないが、あいにく僕は下戸だ)。コーヒーは仕事に向かうスイッチだったから、しばらく原稿が書けなかった。それでも上沢がつらいリハビリに耐えてるのだと思うと、1年のコーヒー断ちなんてへっちゃらだった。
 
 上沢のリハビリとお前のコーヒー断ちに何の関係があるのだと大概の人は思うだろう。僕の言ってるのはシンプルなことだ。大好きな選手が苦しいときにその何万分の一、何千分の一でもいいから分かち合いたい。大好きな選手のために大好きなものを断つ。彼の不在に慣れたくない。上沢直之の不在は堪(こら)えるべき事柄だ。僕の生活は上沢がいない分、欠けているのだ。彼がマウンドに戻ってきた日に本当の形になる。
 
 上沢直之はファイターズのエースだった。ただ「暗黒期」の不遇なエースだ。2016年、大谷二刀流でカープを倒し日本一になったシーズン、彼は故障で稼働できていない。歓喜の輪のなかに入れなかった。エースの名を手にしたけれど、傍らに常に大谷翔平や有原航平がいた。タイプ的には大谷、有原のような「大型車」ではない。様々な球種を織り交ぜて、丹念に投げていくタイプだ。最大の長所はイニングが食えること。つかまっても大崩れしない。自分のペースをキープできる。イメージとしては栗山英樹監督の後期、2016年日本一チームが解体され、迷走していた時代にとにかくマウンドに立ち続け、ファンを勇気づけた存在だ。威圧的なズドーンはない。その代わり、投球術や組み立ての妙があった。
 
 強く印象に残ってるのは2014年の名護キャンプだ。キャンプ序盤、チーム最初の紅白戦、その先発で背番号63の上沢が登板した。僕はキャンプの「初」に注目することにしている。初ブルペン、初登板、初球、初打席、初ヒット…。「初」にはその選手の今年に懸ける思いが集約されている。どれだけ準備してきたか、何を考えてきたか、そういうことを想像しながら見るのが習慣だ。初登板上沢の初球は回転のいいストレートだった。キューンと擬音で表現したくなるような質の高いまっすぐ。おっと思った。そもそも背番号63が先発というのが意外だった。へぇー、上沢は目をかけられてるんだなぁと思う。そして投げてる球に納得した。キャンプの間じゅう、誰に聞いても「今年、絶対出てくる」と評判になっていた。その年、確かに上沢は1軍の戦力として台頭したのだ。135回1/3投げて、8勝8敗1ホールド、防御率3.19。優しげな表情のニュースターだった。彼が投げるとなぜか同期の絆で近藤健介が打つと評判になった。愛称は「うわっち」。女性ファンがとても多かった。

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