高校時代三番手投手だった黒田博樹。無名でプロに入団し大活躍した投手たち
日米通算200勝を挙げたカープの黒田博樹。プロ入り後に偉業を達成した投手たち全員が、高校時代から大活躍していたわけではなかった。
2016/07/24
中継ぎ初のMVPを受賞した浅尾は高校時代捕手だった
上宮高・黒田の1学年上にロッテのリリーフ陣の一角として活躍した薮田安彦がいる。MLBでもプレーした薮田は、高校時代、1年後輩の西浦克拓の陰に隠れて登板機会はほとんどなかった。
ロッテで活躍した、アンダースローの渡辺俊介は國學院栃木高時代、エースで4番の小関竜也(西武、巨人など、現巨人二軍外野守備走塁コーチ)の陰に隠れた3番手投手だった。
ボストン・レッドソックスの上原浩治も東海大仰星高時代は建山義紀(日本ハムなど)の中堅手兼控え投手だった。上原と建山は、のち、テキサス・レンジャーズでチームメイトとなるが、このときには、上原は切り札のセットアッパー、建山は敗戦処理と、二人の立場は逆転していた。
中継ぎ投手初のMVPに輝いた中日の浅尾拓也は愛知県立常滑高時代は捕手であり、投手不足からマウンドにも上がったものの全くの無名だった。
巨人のクローザー、澤村拓一は、佐野日大高時代は3番手投手。県大会では登板機会さえ与えられなかった。
これらの投手は、同級生にたまたま好投手がいるなど、運に恵まれず高校時代に頭角を現さなかったが、夢をあきらめず努力を続け、エース級にのし上がった。
高校時代に大活躍した投手の中には、そのころの酷使がたたってプロ入り後十分に活躍できないケースもある。高校時代に無名だった投手は肩やひじを温存できたことで、後に大きく開花できたという側面もあるのかもしれない。