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「ボール投げ」の能力低下は必然――大谷翔平選手から考える、ジュニア年代に求められる〝アスリート教育〟【元ドジャーススカウト、小島圭市の禅根夢標】

読売ジャイアンツなどでプレーし、その後ロサンゼルス・ドジャースの日本担当スカウトとして当時、黒田博樹投手や齋藤隆投手の入団に携わった小島圭市氏の連載。小島氏は現在、(株)K’sLabを立ち上げ、スポーツ環境の向上から青少年の育成に積極的に関わっています。今回のテーマは「運動神経とアスリート教育」です。トップアスリートのほとんどがジュニアの時に2、3種類のスポーツをやっていたと言います。複数のスポーツを通じて、多様な動きを子どものうちに身につける重要性を小島氏も痛感しています。

2014/12/13

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大谷翔平選手はまさに『アスリート』

  「日本の野球界には、トータル的な「アスリート教育」はないと感じていますが、その中で稀有な存在として出てきたのが、日本ハムの大谷翔平選手でしょう。

「彼は、走れば俊足で、投げてもすごいボールを投げますし、打っても遠くに飛ばすことができます。まさに、彼はアスリートの部類に入ると思います。

「私は、大谷選手は、他の競技をしていたとしても、五輪のメダリストになっていたのではないかと思っています。
 
「中日の荒木雅博選手を取り上げた時にも書いたように、彼のようなバランス感覚に優れた選手がどういう運動をジュニア時代にしてきたかというのは非常に気になるところです。荒木選手がバスケットボールをやっていたらどうなっていたか、ややもすると、田臥選手みたいになっていた可能性があったのではないかと、想像をしています。

「私のジャイアンツ時代の先輩である斎藤雅樹氏、水野雄仁氏、桑田真澄氏は、どのようなプレーをしても一流でした。

「仮にバッターになっていても、活躍していたであろうと想像できる方々です。

運動神経の発達が終わるまでに、遊びを通じた「アスリート教育」を

「大谷選手が二刀流に挑戦しています。もしも3人の先輩が同じようにしていたら、シーズン10本塁打以上を打てたのではないでしょうか。先輩方は少ない打席数、打撃練習をほとんどしないで打てていましたから、その能力は計り知れないものがありました。

「しかし、今は、そういうタイプの選手が減ってきていると思います。ジュニアの頃から野球しかやらせていないからで、アスリート教育がなされていないと私は考えています。

「私は、ジュニア育成のアカデミーを作ろうと(株)K’sLabを立ち上げましたが、メジャーリーガーを育てようとしているのではなく、アスリートを育てたいと思っています。

「話を総合しますと、15歳前後で運動神経の発達が終わりますので、その前までに様々なことをやらなくてはけないのです。飛ぶ、跳ねる、転がる、投げる、打つ。これらの行為を遊びの中で覚えればいいのです。そして、13、4歳から体幹トレーニングを少しずつ入れ、15歳くらいから専門的にしていき細分化していく。17、8歳で、競技を一つに絞る。それまでは、バスケットボールでも、野球でも、サッカーでも、水泳でも、器械体操でも、ゴルフでも、武道でも、なんでもいい。私は競技が多ければ多いほど、いいと思っています。

 中学生の指導に携わっていた時は、遊びの中でやっていました。今日はバスケットボールをやるぞ、サッカーをやるぞ、綱引きだ、運動会をやるぞ、バックスロー競争、うんてい、鉄棒、のぼり棒など‥‥‥全部の動きを練習に入れていると、体が刺激を受けて、運動能力が高まっていきました。

「アスリート教育――。
「これが一番重要だと思っています。大谷選手と彼の高校の先輩である菊池雄星選手(西武)には共通点があります。

「それは、ふたりとも小学校のころから水泳をやっていたということです。クロールをすれば、肩の関節がしっかり回ります。広島の前田健太選手も投球前にやっていますよね。クロールは肩周りの筋肉、広背筋と全部連動していますから、成長の要素につながるのです。

「一つの競技ばかりをやるのではなく、場を変えることに意義がある。アスリート教育がいきわたってくれば、大谷選手のようなプレイヤーが出てきても、不思議ではないと思います。

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小島圭市 (2)

元ロサンゼルスドジャース 日本担当スカウト
小島圭市(こじま・けいいち)

1968年7月1日、神奈川県生まれ。東海大高輪台を卒業後の86年、ドラフト外で巨人に入団。 92年にプロ初勝利を挙げるなど、3勝をマークした。その後は故障に泣かされ、94年のオフに 巨人から戦力外通告。巨人在籍中の怪我の影響で1年浪人のあと、96年テキサスレンジャーズとマイナー契約。1年間、マイナーリーグで活躍した。翌年に日本球界に復帰し中日ドラゴンズでプレー。その後は、台湾の興農ブルズなどで活躍し、現役を引退した。01年日本担当スカウトに就任。石井一久、黒田博樹(ヤンキース)、斎藤隆(楽天)の獲得に尽力。三人が活躍したことから、スカウトとしての腕前を評価された。2013年にスカウトを退職。現在はジュニア育成のため、全国の小・中学生の指導者へ向けた講演会活動や少年野球教室を展開。2014年には会社「K’sLab」を設立。その活動を深く追求している。

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