正捕手を育てられなかった谷繁ドラゴンズ。采配でも「守り勝つ野球」を徹底できず【小田幸平の眼】
セリーグ最下位に沈み、ついに谷繁元信監督の休養が発表された中日ドラゴンズ。谷繁監督の目指した野球とは何だったのか、それはなぜ失敗したのか。中日ドラゴンズOBで評論家の小田幸平氏に総括してもらった。
2016/08/17
どれだけピッチャーが良くても……
――谷繁監督は就任当初から「守り勝つ野球」を標榜していました。それを完遂できなかったのは非常に無念だと思いますし、完遂できなかったからこそチームは低迷していると言えます。
小田 選手の起用は必ずしも守備重視ではなかったという印象を受けました。今季も最初にショートのスタメンだったのは打力を買われた遠藤一星でしたし、セカンドにエルナンデスが起用されることも少なくありませんでした。たしかに点が取れなければ勝てないのは事実なのですが、もっと「守り勝つ野球」を徹底したほうが良かったと思います。
――たしかに景気よくヒットを打つ選手を起用したくなる気持ちもわかりますが、「守り勝つ野球」というより終盤で逆転される「守りきれない野球」だったという印象が強いです。
小田 「守りきる野球」をやることの大切さですね。エラーも多かったですし、肝心な場面での致命的なバッテリーエラーも目立ちました。
――先発投手の不足や抑え投手の不振も目立ちましたが、どのように感じられましたか?
小田 僕はピッチャーの配置に関しては、まったく問題なかったと思うんです。ベンチ入りのメンバーや起用の方法も問題はありませんでしたし、選手もそれぞれ高い能力を持っていました。それでも打たれてしまうのは、キャッチャーからのアドバイスが足りなかったんじゃないかと思います。
繰り返しになりますが、どれだけ良いピッチャーが揃っていても、キャッチャーが良くなければ打たれてしまうものなんです。若いキャッチャーを育てるのはピッチャーですし、若いピッチャーを育てるのはキャッチャーなんですよ。バッテリーが同じ失敗を繰り返しているように見えたのは、それが上手くいっていなかったのでしょう。ちゃんとバッテリーで話し合っているのかな? と思うようなことも多々ありました。
――福谷投手、又吉投手をはじめとした抑え投手陣も同じような失敗を繰り返していたように見えます。
小田 キャッチャーからの言葉は、コーチからのアドバイスより効くことがあるんですよ。でも、若いキャッチャーは自分のことで精一杯で、それどころではなかったのでしょう。ベテランのピッチャーが登板するときは、完全にピッチャー主導だったのではないでしょうか。若いピッチャーとキャッチャーが組んだとき、アタフタしてしまっていたことが多かったですね。
――結論としては、谷繁監督率いる中日ドラゴンズの最大のウィークポイント、低迷の原因はキャッチャーの育成に難があったということなんですね。
小田 もっとディフェンスに徹底して取り組んでもらいたかったということです。谷繁監督が兼任から専任監督になって、「さあ、これから」というときに誰も期待に応えられなかったのも残念でした。編成、采配、さまざまな要素がありますが、この問題が大きかったと思います。
桂、杉山、木下をはじめとしたドラゴンズの若いキャッチャーたちは、これから一人前のキャッチャーに育ってドラゴンズを盛り返していくことが、谷繁さんへの恩返しになると思います。ぜひとも頑張ってほしいですね。
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小田幸平(おだ・こうへい)
1977年3月15日、兵庫県高砂市出身。ニックネームはODA(オーディーエー)。市川高校、三菱重工神戸を経て、97年ドラフト4位で巨人に入団。06年に野口茂樹の人的補償として中日に移籍。谷繁元信現監督の控え捕手として、チームのリーグ優勝3回、日本一1回に貢献。現役引退後は野球解説者はじめトークショーや講演、野球教室、イベントなど精力的に活動している。