阪神西岡は復活なるか? アキレス腱断裂の大怪我を乗り越えた選手たち
アキレス腱断裂の大怪我を負った阪神の西岡剛。過去には前田智徳や門田博光ら数々の選手が同じ怪我を乗り越え、活躍してきた。
2016/08/18
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アキレス腱断裂後、プレースタイルが変わった前田・門田
7月20日、甲子園で行われた巨人戦の2回表、この時点まで打率.295と打撃好調だった阪神タイガースの西岡剛が走塁の際に左足を痛め途中交代。病院の診断は、「アキレス腱断裂」。この時点で今シーズンが終了した。今月5日にはリハビリを開始したという西岡。一般的には歩行可能までにすら3カ月を要すると言われるほどの大怪我だが、過去にはこうした怪我を乗り越えて活躍を見せた選手も多い。
アキレス腱断裂を乗り越えたことで最も有名なプロ野球選手の1人が元広島東洋カープの前田智徳。89年にドラフト4位で広島に入団。レギュラー定着2年目の92年から3年連続でベストナイン、ゴールデングラブを同時受賞するなど、20代前半にして早くも球界を代表する選手の1人となっていた前田だが、95年5月23日のヤクルト戦でセカンドゴロを打って走った際に右足アキレス腱を断裂。
95年は残りの試合を全て欠場するも、リハビリの果てに96年の開幕戦で復帰。その年から4年連続の打率.300超えと復活を果たした。アキレス腱断裂以降は怪我に悩まされることが増えた前田だが、05年には全試合に先発出場し打率.319、32本塁打を放つなどその後も広島の中心打者として活躍をつづけ、2007年には史上36人目の通算2000本安打を達成している。
アキレス腱断裂後も規定打席未満を含めれば打率.300以上10度。不断の努力と打撃センスで、多くの一流選手から「天才」と称された。一方で怪我前6年間での盗塁が53に対して、怪我後17年間ではわずか15。怪我前に4年連続で受賞していたゴールデングラブとも、怪我後は縁がなかった。それだけに、今でも「前田がもし怪我をしていなければどれだけの成績を残せていたのか」と悔やむファンは多い。
アキレス腱断裂を機にプレースタイルを大きく変えたのが元南海ホークスの門田博光。歴代3位の通算567本塁打を放った長距離砲として知られる門田だが、もともとは好守強肩の中距離ヒッター。入団当初は、塁に出ることを考えろと4番に座っていた野村克也に大振りを禁止されていたが、77年にその野村が退団。そして79年のキャンプでアキレス腱を断裂し、シーズンのほとんどを棒に振ったことで考え方を変えた。
怪我以降、脚に不安を抱えるようになった門田は、「本塁打を打てば足に負担はかからない」と徹底した長打狙いとなり、断裂から復帰後初のフルシーズンとなった80年に自己最多を10本上回る41本塁打をマーク。続く81年には44本塁打で自身初の本塁打王も獲得した。
以降92年までプレーし、アキレス腱断裂後は30本塁打以上8度、88年には40歳にして打率.311、44本塁打、125打点の活躍で2冠王。MVPも獲得した。