自動車教習所の教官からプロへ――信樂晃史が叶えたい夢「安全運転の尊さを伝えたい」【マリーンズ浦和ファーム通信#27】
2015年ドラフト6位でマリーンズに入団した信樂晃史は、社会人野球時代は自動車教習所の教官を務めていたことで話題になった。そんな信樂だが、入団後はプロの壁に戸惑い、悩まされた。
2016/08/29
千葉ロッテマリーンズ
新球カットボールが転機に
「全然、思っているようなボールを投げることができなくて、毎日、悩んでいました。投げたら打たれるし、苦しい時期がありました」
苦しい日々の支えとなったのが、教習所時代の仲間の存在だった。教官をしながら、プロ野球を夢見た日々。野球経験のない同僚の教官たちも、自分がプロの世界で活躍することを楽しみにしていると言って送り出してくれた。夜、寝る前、布団に入るとふと今でも両立をしながら頑張っているチームメイトや、応援してくれる生徒たちの顔が思い浮かんだ。クヨクヨしてはいられないと誓い、次の朝を迎える。そんな日々を過ごした。
「自分が活躍をすれば後輩たちも夢を持てる。同じような境遇の人たちの希望になれる。そうなりたいと思って、プロ入りした。だから、弱音は吐いていられない」
転機は5月。川越英隆二軍投手コーチから新しい球種を試さないかと提案があった。カットボールだった。「腕の振りや投げ方を見ていると、キミに合っているかもしれないよ」との言葉に試してみようと思った。ブルペンで言われた通りに投げてみると、しっくりとくるものがあった。1カ月ほど練習をすると使える手ごたえを掴んだ。
「カウント球としても、勝負球としてもいける自信が投げるたびについてきた。ちょっと芯を外してゴロに打ち取れる機会も増えた」
大きな自信になった。実は川越コーチの本当の狙いは「腕をおもいっきり振ってもらおうと思って、腕を緩める球ではなく、カットボールを投げさせてみようと思った。カットボールが決め球の一つとして使えるようになったのは副産物。今では彼の大きな武器になっている」と喜ぶ。