日本ハムで生き残りを誓う大累、「新鮮だった」巨人と異なる3つの驚き
プロ4年目のシーズン途中で、巨人から日本ハムへトレードとなった大累進。巨人時代は内野手争いが激化し、外野を経験したことで、内野手としての自信につながった。現在は鎌ヶ谷で、友達、親族、そしてアツいファイターズファンが待つ地元・札幌で活躍する日を夢見て、練習に励んでいる。
2016/09/01
外野を経験したから自信が持てた
4年目の男がトレード発表されたのは、開幕して間もないときだった。
4月11日、日本ハムファイターズは読売ジャイアンツから大累進(現日本ハム)を乾真大(現巨人)とのトレードで獲得したと発表。その1週間後となる19日には、大累を一軍に登録した。
大累本人からしてみれば、あっという間の出来事だった。
「もうほんとバタバタすぎて……。あっという間に地元の札幌で試合しているなって感じでした。だから『一軍に上がったなぁ』という高揚感はなかったです」
駒大苫小牧高から道都大を経て、2012年のドラフト会議で巨人に2位指名された。同年の1位は菅野智之と、期待されての入団だった。
ルーキーイヤーはイースタンリーグで87試合に出場。219打数54安打12打点で打率.247をマークしたが、一軍の試合には守備で2試合に出場しただけで、打席に立つことはなかった。
2年目以降も出場機会をうかがったが、中日ドラゴンズから獲得した井端弘和(現内野守備走塁コーチ)や埼玉西武ライオンズからFA移籍の片岡治大が一軍で活躍、二軍でも辻東倫や和田恋ら内野手が台頭するなど、大累の活躍の場は限られた。
そんなとき、当時、二軍監督を務めていた岡崎郁氏に「外野をやってみないか」と言われ、チャレンジしてみると適性があると判明し、本格的に外野でもプレーするようになった。「外野を経験し、リラックスしてプレーすることを覚えました。その経験があったので、内野に戻った時に、それまでより落ち着いてプレーできるようになった」と手ごたえを感じた。
しかし、今年の春季キャンプでも一軍に呼ばれることはなく、3月には三軍にまで降格するなど出遅れ、1カ月後のトレードに至ったのだった。
「お世話になったコーチたちの前で恩返しができた」
移籍から2カ月後の6月3日、東京ドームで行われた交流戦の巨人対日本ハム戦で、代走から出場した大累は盗塁を決めた。実はこれが大累自身にとってのプロ初盗塁だった。
試合後にジャイアンツ時代のコーチたちには「よかったなあ」と祝福の声をかけられ、現役時代に話す機会の多かった高橋由伸監督からも「まず1つおめでとう。これからだな」と激励の言葉をもらった。大累自身は「お世話になった、指導してくださったコーチたちの前で盗塁を決められたのは恩返しになった」と感謝の気持ちとともに振り返っている。
持ち味の“足”を使って存在感を見せることができた。これは大累にとって大事にしたい経験だ。
「まず一軍で盗塁を決めたことが自分の中ではすごく大きかった。これから自信を持って練習していきたい」