過去に田淵、和田、小笠原らが成功。阿部慎之助の打力を活かす、捕手から野手へのコンバート
球界の盟主・巨人が大胆なコンバートでチームの再建に乗り出した。扇の要として巨人バッテリーの中心となってきた阿部慎之助を一塁へと配置転換。今季、打撃不振に陥った阿部の復活と次なる捕手の育成を同時にはかろうという構えだ。このような〝捕手から野手へのコンバート〟という事例はいくつもある。
2014/12/21
捕手から野手への転向で結果を残した先駆者・田淵幸一
今季リーグ3連覇を果たした巨人が、このシーズンオフに大胆な配置転換をはかろうとしている。
チームで長らく正捕手を務めてきた阿部慎之助の一塁転向を原辰徳監督が明言。これまで捕手部門でゴールデングラブ賞を4度受賞、ベストナインにも9度選出された名キャッチャーが転機を迎えている。
足首やふくらはぎなど、下半身のケガに長年に渡って苦しめられてきた阿部にとって大きな決断。今季、近年では例を見ないほど打撃成績が低迷したこともあり(打率.248、19本塁打、57打点)、個人としても復活をかけたコンバートとなりそうだ。
この配置転換に伴い、巨人はFAでベテラン捕手の相川亮二(前ヤクルト)を獲得。小林誠司という来季2年目を迎える期待の若手も在籍している。扇の要から阿部が抜けた穴を埋めるシフトは整っているだけに、来季は〝ファースト〟として守備の負担を減らした分、打棒復活は至上命題とも言えるだろう。
こうした阿部のケースに限らず、捕手から内野手、外野手へとコンバートされた選手は、球界の歴史を紐解いてみると、意外なほどに多い。
阿部と同様に、捕手として結果を残しながら野手へと配置転換されたのが、70年代の阪神を代表するスラッガー田淵幸一(現・解説者)だ。〝打てる捕手〟として、1973年から2年連続でダイヤモンドグラブ賞(現・ゴールデングラブ賞)を獲得。1975年には本塁打王にも輝いた。また、江夏豊とのコンビは「黄金バッテリー」と呼ばれ、強肩でも鳴らしていた。
しかし、死球の影響などもあって、徐々に一塁や外野で出場が増えていく。そして、1978年のシーズンオフに西武との大型トレードでチームを移籍。これを機に新しい所属先となった西武で、主に指名打者を任されるようになった。