低迷期を支えた“伝説のスカウト”が語るカープの25年。逆指名制度で失った二岡智宏との邂逅
25年ぶりにセリーグを優勝した広島東洋カープ。かつて広島に在籍した、伝説のスカウトは今回の優勝をどのように見たのか。
2016/10/03
ドラフト逆指名制度で暗転した一つの事件と18年ぶりの邂逅
ただ、誠意が結果につながるとはもちろん限らない。宮本氏を語る記事に必ず登場する98年の二岡智宏を巡るドラフトは今も苦い記憶を残す。
松坂大輔や上原浩治らと共に当年ドラフトの目玉選手だった近大の二岡は広陵出身で早くから広島が徹底マークを続けていた選手だった。相思相愛と見られていたが、ドラフト直前から空気が変わり始め、やがて阪神、巨人、広島の争奪戦の様相に。そして最後に二岡側が逆指名で挙げた球団は巨人だった。
「近大の監督から呼ばれてそう言われた時は、もうなんともねえ……。でも、一緒に呼ばれた備前さん(当時部長)から『洋二郎なんかあるか』と聞かれて言ったのは「僕はまだ納得していません。監督からの断りは聞きましたけど本人からはまだ聞いていませんから」と。翌日にはいつも通り西京極(現・わかさスタジアム)のスタンドに行っていつも通り試合を見ました。周りからはアホカか、と言われましたけどどうしても納得できなかった」
この年のドラフトでは新垣渚の指名を巡り、オリックスの三輪田勝利スカウトが自殺する悲劇も起きた。ドラフト後もやりきれない気分をひきずっていた宮本氏を家では夫人も心配し、宮本氏が外出する時にはこっそりあとつけてくることもあったという。
この話には後日談がある。
実は今年2月、宮本氏の元に二岡から電話が入り、夜の大阪で食事をする機会が生まれた。本人もひっかかり続けていた小骨を取り除きたかったのだろう。18年ぶりの対面に「すいませんでした」と頭を下げた二岡は「実は……」と、子どもの頃からの巨人ファンだったことも“初告白“したという。ただ、当時の空気を知る者としてあの決断が本人の意思だけでなかったであろうことは宮本には容易に想像できた。
誠意の裏のやるせなさ。思うにならないのがドラフトではあるが、逆指名制度の導入は時に、球団も選手も深く傷つけ、苦しめた。もちろん、戦力補強の面だけで見ても、資金力に限りがあり、加えてマネー合戦を良しとしない広島にとって厳しい時代だった。
ただ、その中で高校生中心の指名を軸に、先を見て育てる、広島流の戦略も定着していった。その延長線上に宮本氏、広島と前田との縁も生まれていった。
「最後はくじ引きですけどそこにいくまでの誠意。ここをおろそかにしたらダメですよ。選手は最初はどこのおっさんや、と思っていても今日も明日もおったら、そのうち、広島の宮本さんか、とわかるようになると少しは愛着も沸いてくる。若いスカウトには、選手がどこの誰かわかるようになるまで通わなあかん、とはよく言っていましたね。スカウトは体力、気力、誠意です」