「守りの野球」が中途半端に終わった中日。森新監督には正捕手の固定を【小田幸平の眼】
2016年シーズンは最下位に終わった中日ドラゴンズ。シーズン途中で成績不振を理由に谷繁元信監督が電撃解任、来季の監督人事が注目されたが、森繁和監督代行の監督就任が発表されている。はたして、森新監督はどのような野球を目指すのか? かつて森監督の薫陶を受けた評論家でドラゴンズOBの小田幸平氏に聞いた。
2016/10/24
森新監督は「怖くて、優しくて、愛情がある人」
――小田さんは現役の頃、森新監督(当時は投手コーチ、一軍バッテリーチーフコーチ、ヘッドコーチ)とやりとりする機会も多かったと思います。
小田 いろいろなことを教えてもらいましたね。配球のことはもちろん、ピッチャーの考え方や気持ちを教えてもらいました。(山本)昌さんや岩瀬(仁紀)さん、(川上)憲伸さんが投げるときは「ピッチャーがいいって言うから、しょうがないからキャッチャーをやらせてやる」と言われたこともありましたね(笑)。メチャクチャ怖いですけど、メチャクチャ優しい人です。ものすごく愛情がある人ですね。
――どんなときに愛情を感じるものでしょう?
小田 たとえば、ノックアウトされたピッチャーが「今すぐ荷物まとめて名古屋に帰れ!」と言われることがあるんです。たしかに二軍に落とされるんですが、すぐに一軍に戻してもらえるんですよ。強制送還されても、翌日登板の機会がもらえるときもある。けっして選手を見放すわけではないんです。選手のことをよく見ています。怖いし、優しいし、愛情がある新監督です。
――メディアに出られるときはお茶目な面も見せていますが、やっぱり怖いのですか?
小田 (急に小声になって)怖いよ……。怖い……。
――な、なるほど……。よくわかりました。
小田 あと、試合の流れを掴むのが上手い方ですね。情報もたくさん集めていますよ。この記事も100%読むと思います(笑)。この前も、「お前、小笠原についていいこと言ってたな!」と言われましたから。
――さすが「参謀」ですね!
小田 繰り返しますが、ドラゴンズの課題はキャッチャー。とにかく今年のドラゴンズは最下位だったわけですから、何かを変えないといけません。森さんも絶対に強く意識していると思います。僕としては、森さんが監督になったことで、もう一度、「守りの野球」を追求してもらいたいですね。
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小田幸平(おだ・こうへい)
1977年3月15日、兵庫県高砂市出身。ニックネームはODA(オーディーエー)。市川高校、三菱重工神戸を経て、97年ドラフト4位で巨人に入団。06年に野口茂樹の人的補償として中日に移籍。谷繁元信現監督の控え捕手として、チームのリーグ優勝3回、日本一1回に貢献。現役引退後は野球解説者はじめトークショーや講演、野球教室、イベントなど精力的に活動している。