DeNA・山﨑康晃、西武・秋山翔吾……プロ志望届提出も1度はドラフト指名から漏れた主な現役選手
プロ野球新人選手選択(ドラフト)会議が10月20日に開催される。プロ入りを希望しても確実に入団できるわけではない。現役プロ野球選手の中にも、高校・大学時代にプロ志望届を提出も指名されず、その後の進路を経てプロ入りが叶った選手もいる。
2016/10/18
大学で指名されず、社会人・独立リーグを経てプロへ
最後に2012年以降、大学でプロ志望届を提出するも指名されず、社会人を経てNPB入りした選手だ。以下の4選手だ。
・仲尾次オスカル(2015年ドラフト6位)
カントリーキッズ高→白鴎大(2012年ドラフト会議で指名なし)→ホンダ→広島
・角屋龍太(2015年ドラフト8位)
富田高→名城大(2012年ドラフト会議で指名なし)→ジェイプロジェクト→オリックス
・松崎啄也(2015年ドラフト8位)
作新学院高→作新学院大(2013年ドラフト会議で指名なし)→日本製紙石巻→巨人
・高野圭佑(2015年ドラフト7位)
呉工業高→四国学院大(2013年ドラフト会議で指名なし)→JR西日本→ロッテ
同様に大学でプロ志望届を提出も指名がなく、独立リーグに進んだのは、成立学園高から金沢学院大へ進学した長谷川潤のみだ。2013年ドラフト会議では指名されず、BCリーグの石川ミリオンスターズに入団。2015年のドラフト会議で、最後に指名されたのが長谷川だった(2015年育成ドラフト8位)。
実際、志望届を出しながら指名漏れしたときの心境とはどのようなものなのだろうか。精神的なダメージが大きいのではないかと推測するが、当時はどんな思いだったのだろう。
昨季、最多安打のプロ野球記録を樹立した西武の秋山翔吾は横浜創学館高時代に指名漏れを経験したひとりだ。八戸大を経てプロ入りを果たした秋山は当時の心境をこう振り返っている。
「プロになりたいと強く思っていたし、期待していたので残念だなぁとは思った」
しかし、先が見えないというほどの落ち込みではなく、すぐに切り替えられたそうだ。
「大学の監督も熱心に声をかけてくれていたので、しっかりやればいい。自分次第だと感じていた。新たな4年間のスタートという想いでした」と着実に歩いてきた。プロへの想いを持ち続けられたからこそ、果たせたのだろう。
DeNAのクローザーを務める山﨑康晃も帝京高時代に指名漏れ。亜大で研鑽を積み、2014年“ドラフト1位”の称号をつかんだ。
「(高卒時は)プロに行けると思っていたし、そこにかける想いも大きかったので落ち込みましたね。これからどうしようかなと思ったし、悔しかった」と当時の胸の内を話している。山﨑自身、様々な葛藤はあったが、「これで終わる訳にはいかないと思ったし、僕以上に周りの人が応援してくれた。もともと根拠のない自信しかなかったんですけど、周りが『まだ行けるよ』と言ってくれたので、僕の気持ちを強くしてくれた。くじけずに亜細亜大学に行って頑張ろうと思えた」
周囲の支えがあって、今の自分がある。山﨑らしい捉え方であるだろう。
今年ドラフト対象となる大学生は、大谷翔平(日本ハム)、藤浪晋太郎(阪神)、鈴木誠也(広島)の代だ。同世代でプロ志望届を提出している大学生の選手は、田中正義(創価大)、柳裕也(明治大)、田村伊知郎(立教大)らがいるが、彼らの中には2012年の高校3年時に日本高等学校野球連盟(高野連)へプロ志願届を提出するも指名されなかった選手たちがいる。
黒木優太(立正大学)、張奕(日本経済大学)、小野泰己(富士大学)の3人だ。そんな選手にもぜひ注目したい。
取材協力:氏原英明